西岡さんは自他ともに認める劣等生でした。
当時の偏差値50の中高一貫校に、数学1科目だけの受験で入学した後、中学2年生で成績がビリになり、自主退学勧告寸前となりました。三者面談を3時間して、「なんでそんなに勉強しないんだ!」と母親の前で怒られたほどだったと言います。中学3年生のときもビリから2番目で高校に上がるのもギリギリだったそうです。
また、自分のことを「舐められそうな雰囲気だった」と言う彼は、中学から高校に入るまでずっといじめられっ子だったそうです。(詳しくはこちらを参照:『母が「2浪で東大志望」の僕にキレた意外すぎる訳』)
そんな人生を変えたかった彼は、高校2年生のときに担任だった音楽の先生の勧めもあり(詳しくはこちらを参照:『2浪、偏差値35」それでも僕が東大を目指したワケ』)、東大受験を決め、1日12時間の猛勉強をするようになります。
「とにかく無茶な勉強をしていました。しかも自分一人で殻にこもって勉強するタイプで。先生に質問に行ったりすることはなく、徹夜で勉強をして学校に行き、授業内容を後から聞くために録音して寝ていたこともあります。また、体育の授業を無断で休んで、勉強したりしていたことも、体育祭や文化祭などのイベントの最中にサボって勉強をしていて怒られたこともあります。
今思うと、とんでもない生徒ですよね。だから学校の先生からは『お前は、成績よりも先に、その性格をどうにかしないと東大には行けないぞ』と言われていました。
そのときのことをドラゴン桜の三田先生に話したら、藤井くんというキャラが生まれました。でも、そこまでやってでも、どうしても東大に行きたかったんですよね」
必死に1人で勉強していたが…
人に頼ったり、先生に質問したりせず、自分1人で必死になって勉強していた西岡さん。しかし初年度はその願いが通じず、落ちてしまいました。
「誰よりも努力している自信はあったのですが、蓋を開けてみたら話になりませんでした」と語る西岡さんは、合格していた大学こそあったものの、「東大に固執して、引っ込みがつかなくなった」という理由で浪人を決断しました。
しかし、1浪目の西岡さんがやることは現役と変わらなかったそうで、とにかく必死に勉強していたようです。やはり東大の壁は厚いもので、2次試験が終わってから彼は2度目の不合格を突きつけられることになります。
「茫然自失でした。落ちたらこの世からいなくなるんだと本気で思っていたので、気分はもう、どん底でした。自分は卵アレルギーなんですけど、卵入りのお菓子でも食べてやろうかな、と思って、ショートケーキとかシュークリームとか、たくさん買ったりしました。さすがに食べなかったですけど、そこまで追い詰められていた記憶があります」
しかし、彼は結局この絶望を乗り越えて、再び浪人という選択をすることになります。
どうしてこのような絶望的な精神状態から2浪をする決断ができたのでしょうか。実はその理由は、東大に行くことを勧めた音楽の先生にドイツに連れて行かれたことがきっかけでした。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら