じつはこれに対して、「合理主義哲学の祖」と呼ばれ、哲学者であると同時に数学者でもあり、論理の確実性と明確性を追求したルネ・デカルトは、『方法序説』の中でストア派の考えを次のように真っ向から否定しています。
どちらが正しいとか間違っているとかいうことを、ここで論じるつもりはありません。それぞれの立場で考えてもらえれば結構です。
ただ、私が理性に重きを置きすぎる大陸合理論になじめず、ストア派やイギリス経験論のほうにより親近感を抱く理由は、こうした両者の違いにあるのだろうと思っています。
多様性が尊重されるべき理由
このような哲学の系譜については改めて論じることとして、『夜と霧』に話を戻すと、フランクルが言うように、自分の人生は自分で生きるしかないのです。
私たちは、他人の人生を生きることもできなければ、他人に自分の人生を生きてもらうこともできません。長い時間をかけて1つひとつの人生を積み上げてきた「あなた」の代わりになる存在は、この世のどこにもいないからです。
私は人間社会において多様性が尊重されるべき根拠というものを、ここに見出しています。
一般的には、多様性が尊重されるべき根拠は、生物学的な種の生存可能性やそれとのアナロジーでの企業の競争力といった視点で論じられることが多いと思います。
これに対して、私自身はこうした人生の「一回性」「代替不可能性」にこそ、人間の多様性が尊重されるべき根拠があるのだと考えています。
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