ラーメン店主に転身した元Jリーガーの快活人生 盛田剛平が歩む異例のセカンドキャリア

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

-子どもの頃からラーメンが好きだった?

「普通でしたよ。大学(駒澤)に入ってからじゃないですかね。旅行とか行くようになって、九州のラーメンを食べてからです。うまいなと思って、そこからですね」

-ストイックなアスリートとラーメンがあまり結びつかないですが

「ラーメンを食べすぎて体調を崩したとか、コンディションが悪くなったというのはありませんし、(周囲から)全然言われたこともないです。どっちかというとチームでもフィジカルはトップの方だったので。もし太っていたら言われたかもしれませんけど」

-こういうセカンドキャリアはイメージしていましたか?

「いつかはやりたいなと思っていました。それが老後かもしれないし、でもいつか、と言っていたら、アクションを起こさないんじゃないかなと思って。それで(20年に)コロナもあってサッカーでアジアへの草の根の交流とか行けなくなったりとか、やりたいことが制限されていく中で現実的に考えるようになりました」

-コロナになったことが転機ですか

「はい、それと45歳になって。今は46歳ですけど、その時に人生もう半分しかないと思い、自分のやりたいことを考えて。これをやれなかったら後悔するんじゃないかなというのがあって、じゃあやってみようという感じでした。やるってなったら、ちょっとずつ何か付いてくるんじゃないかなと思って。結構、見切り的なものがありました」

店内で小麦から麺を自作し研究

盛田さんは現役引退後、浦和レッズハートフルクラブのコーチに就任し、今も子どもたちの指導も仕事としている。そのため、ラーメン店でじっくり修業する時間はなかったという。

そこで代わりに修業に出向き、仕込みを覚えてもらう人を探した。その人が修業先で持ち帰ったものを自店で学び、また自らも短期のラーメン学校に通って基本を学んだ。そこで覚えたのが「鶏白湯(とりぱいたん)」だった。

-自分のイメージする味に近づけている?

「でも1つに絞れないというのがあります。自分がいろんなラーメンを食べてきて、どこのラーメンもおいしいですよね。逆に言えば、どのラーメンにもチャレンジしたい。本当に最後のところは、何年後にかならないと分からない。まずはベースの味があって、研究しながらやっています」

次ページサポーター、仲間ら多くの支援
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事