「奨学金216万」父が余命宣告された高3女子の決断 「父は働けないどころか、もう長くはない」

✎ 1〜 ✎ 47 ✎ 48 ✎ 49 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「おかげで卒業前には大学の推薦を受けて、子どもの頃から夢見ていたエレクトロニクスメーカーに就職することができました。当時は売り手市場で、大学と教授からの推薦状があれば、ほぼ内定がもらえる状況だったんですね。とはいえ、翌年からは採用人数が激減したため、ギリギリバブルの恩恵を受けられた世代です」

卒業後は母親と2人暮らしを始めることに

そして、就職後、配属されたのは……なんと地元の、しかも、かつて工場見学で訪れた地元の工場だった。なんとも縁を感じる話である。

また当時、母親が父親の生命保険で小さな家を購入していたため、卒業後は母親と2人暮らしを始めることになった。

「母親はパートでローンを組めないので、銀行から勧められてキャッシュで家を購入したようです。そこから、毎日30分かけて自転車で職場まで通っていました。一応、母親には生活費として数万円は渡していましたが、家賃と車両費はないようなものなので、毎月5万円程度は貯金することができました」

唐澤さんが働き始めた時代は、男女雇用機会均等法が制定されていたこともあり、女性も給与と待遇は男性と同じだった。そのため、勤務先の風通しはよかったという。

「主に通信機器を作る工場なのですが、入社当初は通信機器の製造技術を担当していました。物流を効率化するために、調査や改善に努めていました。その後は、製造のシステム開発、企画、ITなど、2〜3年おきに適材適所に配置されました。

それでも、アルバイトと違って世代や立場、部署ごとの業務内容の違いで戸惑うことが多く、転勤や異動で何度も辞めたいと思いました。おまけに、同時配属された同期10人中、女性はわたしを含めて2人しかいなかったですからね。それでも、毎年給料は上がり続けるし、やりたいことはやらせてもらえたので、何十年と勤務することができたんです」

ちなみに、唐澤さんが現役で働いていた90年代後半から00年代前半にかけては、奨学金の早期返済で報奨金がもらえたという。

次ページ奨学金の報奨金制度
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事