「奨学金216万」父が余命宣告された高3女子の決断 「父は働けないどころか、もう長くはない」

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「父が亡くなったということで、残された母と弟が社宅を離れて、市営住宅に引っ越さないといけなくなったんです。母はずっとパートで働き、弟は住み込みで新聞奨学生をしながら、都内の専門学校に通っていました。

また、私が間借りしていた伯母の家も、当時は結構大変な状況で。当時、伯父も一緒に住んでいたのですが、1年生の途中から若年性アルツハイマーになってしまったんです。伯母は介護に専念しながら、伯父を支えていて……。わたしが卒業する前に、伯父も亡くなってしまい、みんな大変な時期でしたね」

サークルにも入らず、アルバイトに明け暮れる日々

こうして、家族一同さまざまなハンデを乗り越え、奨学金を借りながら大学に通い続けた唐澤さん。当時はバブル全盛期で、大学生といえば、スキーやコンパなどのイメージだったが、それらは彼女には関係のない話だった。

「電子工学科に進んだのですが、当時は50人中女性はたった一人で、周りは男性しかいませんでした。学科では友達もほとんどできず、家から遠かったのでサークルにも入る気が起きなかったので、講義が終わるとすぐに帰りました。もちろん、キャンパスにはほかの学部の女の子はいましたが、気持ちを共有することができなかったんです」

たしかに、実家も下宿先も大変だと、浮かれる周囲にテンションを合わせるのも難しいだろう。

ただ、伯母が伯父の介護で付きっきりのため、下宿先の居心地もよくはなかった……。その結果、唐澤さんはアルバイトに明け暮れることになった。

「平日の大学帰りと週末に、商業施設のサービスカウンターで働いてたんです。当時はバブルだったので、領収書を書いたり、過剰なまでのラッピングの仕事がたくさんありました。時間があればシフトもたくさん入れてもらえたので、毎月7万〜10万円稼ぐことができたんですね。学費の不足分を補うことができましたし、バイト先では同年代の友達もできたので、充実した毎日を送ることができました」

真面目な性格の唐澤さんは、大学よりもバイト先のほうが肌に合ったらしい。

また、就職を見据えて大学に進学したため、当然のことながら、勉強をおろそかにすることもなかった。

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