たとえば長編小説『コーヒーと恋愛』は、こんな描写から始まる。1960年代、まだまだテレビが目新しいものだった時代。主人公は人気女優である坂井モエ子。しかしモエ子はその親しみやすい風貌から、サラリーマンの奥さんや薬屋のおかみさんなどの「オバサン」役を当てられることが多いのだった。
もっとも、当人のモエ子が、毒にも薬もならぬオバサン役に、飽きてることは、事実である。
「あたし、一度でいいから、思いっきり、悪女の役を、やってみたい……」
と、よく公言するのであるが、どのプロデューサーも、対手にしてくれない。(獅子文六『コーヒーと恋愛』ちくま文庫、筑摩書房)
そんなモエ子は、コーヒーを入れるのがとても上手だった。コーヒーもまた、テレビと同様、当時はハイカラな存在。しかしこの「コーヒー」が、モエ子の恋愛を左右していくのである。
そう、『コーヒーと恋愛』は、「オバサン」女優であるモエ子の、都会的でおしゃれな恋愛模様を描いた物語なのだ。
とびきり美人というわけでもないが、愛嬌があってコーヒーを淹れるのがうまく、年下の演劇作家と同棲している40代のモエ子。――なんだかその設定だけで、「え、意外と当時の日本の価値観、進んでるな」と感じないだろうか?
私は『コーヒーと恋愛』をはじめて読んだとき、昭和にもこんな進んだ恋愛観を描ける作家がいたのか! とかなり驚いた。モエ子は決して、肩肘張っているキャリアウーマンというわけではない。しかし年齢を重ねつつも、恋愛と仕事を(紆余曲折しつつ)楽しんでいる。
獅子文六の「フランス」で得たエッセンスとは、もしかすると、男女の対等な恋愛模様だったのかもしれない、とすら感じるのだ。
働く女性も頻繁に登場する
獅子文六の描いた小説のなかには、働く女性も頻繁に登場する。
たとえば小説『七時間半』。東海道線特急列車を舞台に据えた長編小説だ。そのタイトルの意味は、1950年代、東京から大阪に行くまで七時間半かかっていたから。本作は、東京・大阪間を行く特急「ちどり」の、乗客と従業員たちの人生をそれぞれ描いた群像劇となっているのだ。
下に引用するのは、『七時間半』に登場する藤倉サヨ子の物語。彼女は列車の食堂に勤める女性。実は同じく食堂に勤めている喜一に告白したところなのだが、その裏には彼女のある野望があった。
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