家康が武田重臣「穴山梅雪」寝返らせた緻密な策略 相手の立場を考慮し、不安を取り除く細やかさ

✎ 1〜 ✎ 27 ✎ 28 ✎ 29 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

『甲陽軍鑑』は裏切り者となった穴山信君に手厳しく、またこの五箇条の献策自体が、実際にあったかどうかは疑わしい。たとえ事実だとしても、穴山信君からすれば、自分たち重臣の意見を退けてまで、無謀な決戦を決めたのだから、少なくとも前向きにはなれなかったことだろう。

穴山信君は戦線離脱したあとに、勝頼の本陣までやってきて、こう言い放ったともいわれている。

「信玄以来の家老衆をことごとく殺してしまったではないか!」

この発言も事実かどうかは怪しいが、内容自体はその通りだと言わざるをえない。勝頼からすれば、ぐうの音も出なかったことだろう。

重用されても裏切ったワケ

結局、勝頼は昌信の献策をほとんど却下しており、穴山信君にいたっては、切腹どころか、かえって重用している。信君は戦死した山県昌景に代わり、江尻城に入ることになり、そこが駿河支配の拠点となった。

勝頼からすれば、やはりベテランの力を借りざるをえないということだろうが、信君からすれば、沈みゆく船で今さら奮起するのは難しかったのではないだろうか。

また勝頼は、息女を穴山信君の嫡男に嫁がせる予定だったところ、婚約を破棄。その相手を従弟の武田信豊に変更した。信君の胸中は穏やかではなかっただろう。

信君の勝頼に対する不信感が高まるなか、絶妙なタイミングでアプローチを行ったのが、家康である。天正10(1582)年3月2日、こんな趣旨の手紙を穴山に送った。

「当方に帰服するならば、甲斐一国をあてがうが、その前に、信長から扶持を貫えるように斡旋する。もし、それがうまくいかなければ、家康が扶助する」

この書状が秀逸なのは、提案内容が極めて具体的なところである。何をすれば、どんな見返りがあるのか。しかも、家康は信長とかけ合うことを約束すると同時に、「うまくいかなかった場合」についても、きちんと明記している。

相手の立場に立って、不安に思うことのないように配慮する――。この細やかさが家康の真骨頂だろう。信君はこの手紙を受けて、家康を仲介として、信長へと寝返ることとなった。


【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉現代語訳徳川実紀』(吉川弘文館)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
笠谷和比古『徳川家康 われ一人腹を切て、万民を助くべし』 (ミネルヴァ書房)
平山優『新説 家康と三方原合戦』 (NHK出版新書)
河合敦『徳川家康と9つの危機』 (PHP新書)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
日本史史料研究会監修、平野明夫編『家康研究の最前線』(歴史新書y)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
佐藤正英『甲陽軍鑑』(ちくま学芸文庫)
平山優『武田氏滅亡』(角川選書)
笹本正治『武田信玄 伝説的英雄像からの脱却』(中公新書)
太田牛一、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
黒田基樹『家康の正妻 築山殿』 (平凡社)

真山 知幸 著述家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

まやま ともゆき / Tomoyuki Mayama

1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年独立。偉人や歴史、名言などをテーマに執筆活動を行う。『ざんねんな偉人伝』シリーズ、『偉人名言迷言事典』など著作40冊以上。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義(現・グローバルキャリア講義)、宮崎大学公開講座などでの講師活動やメディア出演も行う。最新刊は 『偉人メシ伝』 『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』 『日本史の13人の怖いお母さん』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』(実務教育出版)。「東洋経済オンラインアワード2021」でニューウェーブ賞を受賞。
X: https://twitter.com/mayama3
公式ブログ: https://note.com/mayama3/
 

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事