ここで私が言いたいのは、このように、私たちが積極的自由を獲得するための重要な手段として教養を捉えたらどうかということです。
古代ギリシャのソクラテスの時代にまで遡れば、彼が言っている「善く生きる」を実践するために必要な素養としての教養を身につけませんかということです。
ソクラテスは著作を残しませんでしたが、彼の弟子のプラトンが著した『ソクラテスの弁明』の中で、「一番大切なことは単に生きることではなく、善く生きることである……よく生きることと、美しく生きることと、正しく生きることは同じだ」と語っています。
ソクラテス「人生の目的は幸福」
ソクラテスは、人生の究極の目的は幸福だと考えていました。
この世で最も価値があるのは、自分の魂をより優れたものにするための魂(プシュケー)への気遣い(魂の世話、魂の配慮)を通じて、自らに徳が備わるような生き方をすることであり、それが幸福につながると考えたのです。
そして、当時のアテナイ市民が金銭や地位のことばかり気にかけていたのを批判し、自らの魂に徳が備わるように気遣い、できるだけ魂を優れたもの、善きものにするよう努めるべきことを訴えたのです。
ソクラテスは、魂を磨くことで人格を善くするということは、一定の知識と見識に基づいた万人に共通の普遍的な営みだと考えました。
ここから自然学(自然哲学)、論理学(論理哲学)と並ぶ哲学の三領域のひとつである倫理学(道徳哲学)が生まれ、後にソクラテスは倫理学の創始者と呼ばれるようになったのです。
ちなみに、倫理学と言えば、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」が有名ですが、これは「人はどう生きるべきか」「正しい行いとはどのようなものか」という、あるべき生き方を問う学問です。
ソクラテスは70歳の頃、「アテナイが信じる神々とは異なる神々を崇め、若者を堕落させた」という罪で告発されます。
友人であるクリトンから逃亡するよう勧められますが、それを拒否し、判決に従って自ら毒杯をあおりました。
ソクラテスがクリトンの提案を受け入れなかったのは、上述したように、彼が目指していたのはお金を稼ぐことでも身体を気遣うことでもなく、「善く生きる」ことであり、それが彼にとっての幸福を意味したからです。
ソクラテスの裁判から最期に至るまでの経緯については、プラトンによる『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』の中で詳しくつづられています。
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