最初の適応障害から復帰した後、サードプレイスとして新たに開拓していたスキューバダイビングを通じた知人たちが、心配して時々家を訪れてくれたことも有り難かった。家と職場の往復になりがちな30~40代。利害関係がなく、同じ趣味を持つ老若男女の知り合いは、アルコール臭が漂う部屋を片付けてくれたり、チキンを買ってきてくれたりした。会社の人間や大学の同級生には、話せないことも彼ら、彼女らには自然と話せた。
「あの仲間には本当に助けられました。仕事盛りになると、どうしても大学の同級生とも疎遠になり、周囲は仕事関係の人間ばかりになりがちです。たまに同級生と会っても『収入がいくらで、どこに住んで、何の車乗って、どんな女と付き合ってるか』など、競い合うような会話ばかり。スキューバを始めたのは『女性にモテるから』との動機もありましたが、外に居場所を作ることは大事だと思います」
半年後、雑巾がけからやり直す覚悟で職場に復帰。平社員で再起動した後、肩の力を抜き、自然体で働けるようになった。1回目の課長職は「イキり全快でぶっ飛ばし」(澤村)、再チャレンジとなった2度目の課長職は、リベンジを果たそうと張り切りすぎていた。同期が多い団塊ジュニア世代の1人として、勝負どころで何とかして勝たないとという焦りばかりが先走っていた。
昨春、3度目の課長職に返り咲いた。トップ内定だったはずの自分よりも評価が下だった入社同期が、今や役員に就いているが、昔の競争意識はもはやどこにもない。15人の部下と各々1時間かけて、定期的に1ON1ミーティングを丁寧に繰り返す。褒めないと動いてくれない反面、承認欲求が強い世代に対するギャップは否めない。自分の経験を踏まえ、精神的な面にも細やかに目を配る。
澤村は「昔は、メンタルヘルスなんていう言葉もなかったですよね。根性論が中心で『あいつ終わった』で済まされていた。弱いヤツ、負けた人扱いでした。今の自分なら、壊れ予備軍は、話をすれば感覚でわかります。やばくなる前に、救えた部下も何人かいます」と強調する。
「2度もくたばり、辞めることなく何とか復活しました。あまりほかの人が経験していないことを『履修済みです』みたいな感じでしょうか」。定年後は嘱託でも働き続け「出ていってくれ」と言われるまで会社にいるつもりだ。
苛烈だった団塊ジュニアたちの出世競争
澤村さんの話を通じて、彼が就職した約30年前と現在の状況を比べると、あまりにも実情が異なっていることに、あらためて気付かされる。同期との激烈な出世競争をはじめ、定年まで1つの企業で数十年間働き続けるのが美徳とされていた価値観。「年下上司・年上部下」への違和感減少や、当時は「うつ」で片付けられていたメンタルヘルスに対する理解も同様だ。
2度にわたる適応障害を乗り越え、力むことなく自然体で「以前の自分」を振り返る澤村さん。誰もが再チャレンジできる職場環境が広がってほしいと思うと同時に、彼のような自らに意識変革する覚悟もますます必要になってくるのだろうと感じる。
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