トップ出世から「2度の適応障害」49歳男性の岐路 従わない年上部下、多忙な職場で「ぶっ壊れた」

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飛ぶ鳥を落とす勢いだった澤村に何が起きたのか。

「慶応卒で年下、お偉いさんぶったヤツが言うことを、何で俺たちが聞かなきゃいけないんだと思われていました。もう理屈じゃなく、感情論みたいなものです」

要求に従わない部下、ほぼすべての仕事を自分で抱えた

大抜擢された史上最年少課長が直面したのは、当時の日本社会ではまだ珍しかった「年下上司・年上部下」の環境だった。「本社出向という留学で、外の空気を吸って帰ってきた」(澤村)上司に対し、自らよりも入社年次が上の部下たちは、表面上は普通に接していた。ただ、夕方6時ぐらいになると、一斉に姿を消す。澤村抜きで夜な夜な飲みに行き、「ボロクソに悪口」(澤村)を言っていた。中には、15歳も離れた部下もいた。

澤村が何を言っても、どんな要求を出しても、従わない。指示をすると「はい、はい」とは応じるものの、1週間経っても、2週間経っても、何のリアクションもない。けんかを売ってくるわけでもなく、殴りかかってくるわけでもない。無視するのでなく、表向きは会話に応じる。ただただ、むなしかった。つらかった。どうしたらいいか、途方に暮れた。結果、ほぼすべての仕事を澤村が抱えざるをえなかった。

それでも、2人ほどの部下は、澤村を手伝ってくれようとしたが、彼らはそれほど仕事ができず「何の貢献もないどころか、かえって足手まといになった」(澤村)。ただ、彼らから間接的に悪口の内容を聞かされた。「慶応卒でエリート扱いされて、調子に乗るんじゃねえよ」「外の世界を知ってるからって、あいつは何なんだ」。自動車セールスを長年続けてきたベテランにとって、突然上にやってきた年下上司の存在はとにかく面白くなかった。

仕事の成果を打ち出せない澤村に対し、上司は「お前、何のためにそのポストに就けてやったかわかってるのか」と厳しく追及した。追い込まれた澤村は、朝から夜遅くまで休みなく働き続け、目の前の仕事をとにかく処理し続けた。厳しい就職戦線を共に勝ち抜いた同期たちは、味方にはなってくれたが、自分を助ける力にはなり得なかった。

そして、ついに限界が訪れた。

「まずカラダが不調になりました。その後、精神的に不安定になり、ある朝、起き上がれず、立ち上がれずの状態になりました」

課長に就任してから半年後、心と体がバラバラになり、出社できなくなったのだ。張り切りすぎる自分に対し、冷ややかな対応を取る部下たちにどう接したらいいかわからなくなり、心身は空回り。とっくに自分の容量を超えていた。

上司に洗いざらい話すと、懇意にしていた人事部長に精神科へ連れて行かれた。適応障害と診断され、部長からは休養を命じられた。言われるがまま、毎日薬を飲みながら、自宅に引きこもる日々が続いた。

次ページ復帰後は着実に仕事をこなし、再度チャンスがやってきた
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