アメリカ建国の父の逸話に仕事人の本質が映る訳 古典「フランクリン自伝」を読んで学べること
あっさり言えば、みんなにとって得になることをやるということだ。合理的でないと、立場や利害を超えて人々が乗ってこない。実行するためには構想や指示や行動が現実的かつ具体的でなければならない。フランクリンはどんな仕事をするときも常に実利的で具体的だった。
第3に、社会共通価値を追求したこと。フランクリンは生涯を通じて実利を求めた人だった。しかし、スケールが大きい。彼が追求した利得は彼だけのものではない。自分の周囲にあるコミュニティの人々、ひいては社会全体にとって得になることを常に考えていた。
だからといって、自分の利得を劣後させ、自己犠牲の精神を発揮したわけでは決してない。自分の利得になることが社会全体にとっても利益になればなおよい。さらに重要なこととして、社会にとって大きなスケールで得になることをしたほうが、自分にとっての利得も大きくなる。
表面的には矛盾するかのように見える利他と利己が無理なく統合されている。ここにリーダーとしてのフランクリンの思考と行動の最大の特徴がある。
究極のジェネラリスト
日本では、稲妻が電気であることを証明した偉大な科学者としてフランクリンは知られている。雷が鳴る嵐の中で凧を揚げ、凧糸の末端につけたライデン瓶(ガラス瓶と水を使い電気を貯める装置)で電気を取り出す命がけの実験が評価され、フランクリンはイギリス王立協会の会員に選出されている。
この科学史に残る偉業にしても、フランクリンにとっては自分の仕事のごく一部に過ぎなかった。現にこの自伝の中でも、この「フィラデルフィア実験」のエピソードは最後のほうでごくあっさりとしか触れられていない。
フランクリンは「究極のジェネラリスト」だった。実業家にして著述家。政治家にして外交官。物理学者にして気象学者。どんな分野にも専門家がいる現代の基準からすれば、フランクリンの仕事の幅は異様に広く、その成果は驚くべき多方面にわたる。しかも、次から次へと「転職」したわけではない。同時並行的に異なる分野で活動し、多種多様な業績を遺している。
驚異的なオールラウンダーが生まれた背景には、彼の出自と発展途上にあった当時のアメリカの社会構造がある。
イギリスからニューイングランドに新天地を求めて移住してきた父ジョサイアには、17人の子どもがいた。大勢の子どもを養うだけで精一杯。ジョサイアは知的な人物だったが、高等教育を子どもたちに与える余裕はなかった。10歳で教育を終えたフランクリンは早くから社会に出た。
知識欲旺盛なフランクリンは読書が大好きだった。子どものころから父の蔵書にあったプルタルコスの『英雄伝』やデフォーの『企画論』、マザーの『善行論』などの書物を読破していた。文章を書くことにも目ざめ、独学で文章修行もしている。本好きが高じて印刷工になる。
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