アメリカ建国の父の逸話に仕事人の本質が映る訳 古典「フランクリン自伝」を読んで学べること
何もないところから身を立て、苦労を重ねながら実業家として成功したフランクリン。彼の信念は「信用第一」。信用を獲得するためには、勤勉で誠実で正直でなければならない。フランクリンは生涯にわたってこの価値観を貫いた。
プラグマティズムの人
彼の勤勉で誠実な生き方は観念的な倫理や道徳によるものではなかった。それが結局のところ自分の利益になるからだ。どんな仕事でも勤勉に働く姿を見て、周囲の人々はフランクリンを信用するようになる。「私はなにも、自分の勤勉さを自慢したいわけではない。これを読んだ自分の子孫に、勤勉さがどれほどの利益をもたらすかを知ってもらいたいだけだ」――フランクリンの思考と行動は徹底してプラグマティズム(実利主義)に基づいていた。
フランクリンは聖人君子ではなかった。若き日にイギリスにわたって印刷工をしていた頃は、稼いだお金を芝居や遊びに使ってしまい、その日暮らしも経験している。
自分が世俗的な人間であることを隠さなかった。この自伝を書いた動機にしても、冒頭で「回想をつづることで、自分の虚栄心を満たしたいとも思っている」と書き記している(「紙に書くだけなら、若者を嫌々付き合わせなくてすむ。読むか読まないかはめいめいが自由に決めればいい」とここでもプラグマティズムを発揮しているのが面白い)。
フランクリンのプラグマティズムは宗教と教会に対する姿勢によく表れている。彼は神の存在と宗教の意義を信じていた。しかし日曜日の教会の集会に出るのは若いころから止めていた。彼にとって日曜日は「勉強をする日」であり、そのほうが有益だと考えたからだ。長老教会派の会員として育てられてきたが、教義にある「神の永遠の意志」「永遠の定罪」といった抽象的な概念がどうしても理解できない。さまざまな宗派の中には人々を分裂させ、不和をもたらすような教義が含まれていることにも疑念を持っていた。
たまには長老教会の礼拝に顔を出すこともあった。しかし、牧師が道徳の原理を説くよりも、長老教会派の優位を主張する神学論争に明け暮れるのに辟易し、「何ひとつ得るもののない時間だった」と振り返っている。
とは言え、「どんな宗派であっても多少は人の役に立つと考えていた」ので、宗教を否定せず、他人の信仰については口を出すこともない。どの宗派かに関係なく、寄付をつづけた。フランクリンにとっては人々の善行を促し、善良な市民へと導くという「利得」こそが大切だったのである。
彼が25歳のころに打ち立てた有名な「13の徳目」に、プラグマティストの真骨頂を見ることができる。「道徳的に完璧な人間」になることを決意したフランクリンは13の徳目を自らに課した。「いい人間であれ」と漠然と思っているだけでは、いつまでたっても実現できない。13の徳目は宗教的な戒律ではなく、あくまでも実践のための計画だった。
「節制」「規律」「倹約」「勤勉」……一見してありふれた言葉が並んでいる。興味深いのは徳目の中身よりも、彼がそれらを選び制定した過程だ。フランクリンにとって、「13の徳目」は漠然とした目標や精神的なかけ声ではなく、あくまでも現実生活の中で道徳性を身につけるための計画だった。
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