まとまらない相続「長男」が弟妹へつづった手紙 「内容証明郵便よりも、虎屋の羊羹」の深い意味
一方、創業者の個人財産は60億円にのぼりました。遺言がなかったので、これらは相続人ですべて共有の状態になり、遺産分割協議となりました。
「兄貴は会社をもらっているよな。俺と妹で個人財産は半分に分ける」と言う次男。「会社は会社だ。おやじが会長になってからの30年、俺が社長をやってきたんだ。会社の株は対価を払って取得している。会社を財産分けに入れるのはおかしい」と言う長男。
「私、父さんには冷たくされてきたわ。その分、遺産はたくさんもらわないと納得できない」と言う妹。90歳を越える母は、子どもたちの言い争いを聞いておれず、自室に引きこもってしまいました。
遺産分割の話し合いがまとまらないまま、F社はコロナ禍に見舞われ、百貨店での売り上げが一時期ゼロになるなど、本業は大打撃を受けます。コロナ禍のため、弟や妹との協議の場をリアルで設けることもできず、相続税の申告の期限(相続から10カ月)を超えてしまいました。
一度分散した株式に、どう対処するか?
株式が分散する事例は、戦後、爆発的に増えました。法律が子どもたちに財産を均等に分けることを支援する形になったので、当然といえば当然です。
F社の、その後を見てみましょう。
株式が田分けされてしまい、創業者の死に伴って、2代目社長の和田さんは資産管理会社の支配権を弟や妹に握られそうになります。簡単には株を手放しそうにない弟と妹。創業者の死からちょうど1年が経過しても、遺産分割協議もまとまらない状態でした。コロナ禍の中で開かれた経営者の会で、和田さんから私に声がかかりました。
1週間後、私は和田さんのオフィスを訪ね、状況をお聴きしたところ、遺産分割の問題と、すでに贈与されている株式の集約の問題を同時に抱えて悩んでおられ、初回のミーティングは状況確認だけで2時間を要しました。
いちばん印象的だったのは「弟も妹も、文句しか言ってこない。それなら株式をすべてくれてやるから、経営をやってみろ、と言ってやりたい」という言葉でした。本音だったと思います。
二度目の訪問で、私は和田さんにとって受け入れがたいこととは承知のうえで、思い切って、1つの方針をお示ししました。
「忍び難きを忍び、弟さんと妹さんに頭を下げてしまいませんか?」 私の言葉に、和田さんは失望のため息をつきました。
「石渡さん、あなたは何もわかっちゃいないよ。どうして私が弟や妹に頭を下げなきゃならんのか。話にならん」
「和田さん、お気持ちはお察しいたします。これまでお聴きした状況から、私には『3つのステージ』が見えていますので、ご説明させてください」
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