不仲でも「離婚しない夫婦」幼い娘が体験した地獄 大学4年で知った「父に隠し子」に娘はなぜ絶望したか

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父親がついに家に帰らなくなったのは、大学1年の秋でした。母親との暮らしが限界だったのだろうと当時は思っていたのですが、後でわかったところ、それは不倫相手に子どもが生まれた時期でした。

でも当時はそんなことは思いもよらず、芽衣さんは父親と連絡を取り合い、ときどきご飯を食べに行ったり、スポーツの試合の観戦に行ったりしていたそう。

父の戸籍に、知らない子どもの名前が…

大学4年の夏、母親から「ちょっと話がある」と呼び出され、真剣な顔で見せられたのは父親の戸籍の写しでした。離婚調停を申し立てるために、母親が取り寄せたものです。そこには「認知」という文字とともに、知らない子どもの名前が書かれていました。

「『え?』みたいな感じです。母は不倫には薄々気づいていたと思うんですけれど、子どもの存在は、母も知らなかったみたいです」

このとき、もう一つ衝撃を受けたことがありました。用紙に記載された子どもの名前が、芽衣さんと一字違いの、一目できょうだいとわかるものだったことです。

「嫌でしたね。子どもが生まれちゃって、そういうことになったのはどうしようもないとしても、なんでそんな名前をつけたんだろうって。私たちに言えない子どもに、こんなそっくりの名前をつけて、どういうマインドなのかまったく理解できない。どういう気持ちで、この子の名前を呼んで暮らしているんだろう、というのが衝撃でした」

それはおそらく父親としては、いつか事実が露呈したときのせめてもの罪滅ぼしというか、芽衣さんに愛情を示したくての命名だったのでは……と筆者は思うのですが。以前取材で、やや似た話を聞いたからです。でも芽衣さんは「それは絶対ない」とのこと。

不幸中の幸いだったのは、このときすでに、芽衣さんの就職活動が終わっていたことでした。原因ははっきりしないのですが、芽衣さんはその後まもなく、外に出られなくなってしまったからです。

「知ってからしばらくは何ともなかったんですが、翌月くらいから急に肩が凝るし、挙動不審になっちゃって。電車に乗ると、周りの人がみんな自分より優れて見えて、乗っている人全員が私のことをバカにしているように思えてしまう。人としゃべっていても、相手が自分のコンプレックスを見ている、みたいに感じる。とにかく怖くなっちゃって、バイトも行けなくなり、内定式があった秋口まで本当に引きこもっていました」

おそらく父親のことで受けた衝撃が大きすぎて、体調に影響が出たのではないか、といまでは思っているそう。

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