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不仲でも「離婚しない夫婦」幼い娘が体験した地獄 大学4年で知った「父に隠し子」に娘はなぜ絶望したか

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  • 大塚 玲子 ノンフィクションライター
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「ストレスのはけ口に私を使っている、みたいな感じです。姉もたぶん詰められたり、理不尽に怒られたりしていたと思うんですけれど、手をあげられているのは見たことがない。姉は割と気が強くて、たぶん私が一番おとなしいからターゲットになっていました」

一方の父親は、母親の悪口は言うものの「芽衣も大変だよな」という態度でした。助けてくれることもなかったのですが、「父と私は母が嫌い」という共通認識のもと、「なんとなく連帯していた」といいます。

父親がときどき家に帰らなくなったのは、芽衣さんが中学生になった頃でした。「残業で終電に間に合わないから、カプセルホテルに泊まる」と連絡を入れてくる父の言葉をそのまま信じ、「すごく忙しいんだな」と当時は思っていたそう。

高校時代、母からの八つ当たりが減ったのは、祖父との同居がきっかけでした。故郷で一人暮らししていた病気の父親を呼び寄せてから、母があまり怒鳴らなくなったのです。でも、芽衣さんの居心地がよくなったわけではありませんでした。

みんなイライラしていて、一人の時間が息抜き

「家にいると、みんなイライラしているんです。両親は仲が悪くて、母はパートの仕事と祖父の介護で疲れているし、姉も当時は進路が決まらなくてイライラしている。だから家事は私もかなりやっていました。友達はいたけど、学校は遠かったしあまり面白くなくて。家にいても学校に行ってもしんどい、みたいになっちゃって……」

高2になると、学校に行かない日が増えました。朝、家を出ると隣駅のマックで時間をつぶし、両親が出かけた頃に帰るのです。祖父はこの頃入院していたため、芽衣さんは家で一人に。その時間が「すごく息抜きだった」といいます。

「高校をやめたい」と伝えたところ、母親は「絶対にやめさせない」「やめるなら死ね」と反対しました。「こんなにいい学校に通わせてやっているのに、やめるなんてバカじゃないか」と腹を立て、なぜ彼女がそこまで思い詰めたのか耳を傾けることはなかったそう。

退学せずに済んだのは、担任の先生のおかげだったようです。三者面談で家庭環境を話したところ、ひどく心配した担任が「1週間学校を休んでいい。欠席扱いにしないので、ゆっくりしてからまた考え直して」と言ってくれたのです。高3のとき「明らかに自分が仲のいい子しかいないクラス」になったのも、担任のはからいだったのでしょう。

「私の状況を把握してくれた、ということが大きくて。近くに寄っては来ないけど、そういう、ふんわりと優しい対応をしてくれたので。『学校行くか』みたいになって、ときどきは休んでましたけど、一応ふつうに卒業はしました」

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【信じていたものは何だった? 父がついていた巨大なうそ】

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