翻訳アプリもない時代に、欧米の新聞の文化面をキュレーションして日本の読者に届けていたのだから。その連載は「欧米の最新情報を日本語で読めるように」という鴎外の志が詰まったものだったのだ。
ほかにも鴎外はアンデルセンの『即興詩人』をはじめとする翻訳にもかなり尽力した。そういう意味でおそらく鴎外には「自分こそが日本の翻訳文学を背負うことのできる人材である」という自負がそれなりにあったのではないだろうか。
まだこの論争を始めたときは、鴎外は『舞姫』を発表した一エリートでしかなかった。一方で逍遥は、『小説神髄』という文学論を刊行し、もはや文壇の権威だった。そういう意味で、鴎外が逍遥の言葉尻の矛盾に噛みつき、しかし逍遥はそんな鴎外を無視しなかった。
1年間もお互いの雑誌上で論争
結局、この「没理想論争」は1年間(!)続くことになる。逍遥と鴎外は、欧米の文学と、日本の批評について、1年間もお互いの雑誌上で論争し続けたのである。
現代でもSNS上をはじめとして、日々さまざまな論争がおこなわれている。が、根気よく1年間も論争し続ける人間がどれほどいるだろう。そう考えると鴎外の根気強さというものは、現代人の想像も及ばないところにあるように思えてくる。
森鴎外は自らの性欲についてつづった衝撃的な自伝的小説『ヰタ・セクスアリス』にて、こんなふうに語っている。
(『ヰタ・セクスアリス』新潮文庫、新潮社)
「どうも自分は感情を人よりも抑えがちらしい」と自負していた彼が、それでも翻訳文学については大先輩にけんかを吹っかけていたのは、かなり興味深い事実である。一見冷淡な性格だが、実は文学についてはけんかっ早い大文豪……そんなふうに森鴎外をまなざすと、彼の新しい側面が見えてくるのではないだろうか。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら