つまりは「えっ、シェイクスピアや、バイロンや、スウィフトみたいな、欧米の文学者たちもそんな理想なしに文学を書くなんてありえなくない!? 文学には作者の理想が入り込むもんじゃない!? 理想のない文学なんて、神が書いた文学みたいなもんじゃない!?」
「坪内逍遥の没理想論ってみんな何も言わなくない!? 賞賛しか言葉を重ねてなくて、この姿勢の真価を問うてなくない!?」と森鴎外は逍遥の議論に対して大いなる批判を寄せているのだった。
海外の情勢や文学に詳しかった森鴎外
引用の最後に載せた「偶々物言ふ人ありといへども、唯賞讃のこと葉を重ねて、眞價を秤らむとするに至らず」なんて、すごい物言いである。「物言う人はいっぱいいても、賞賛しか言わず、真価をはかろうとしている人は誰もいない」……なんだか鴎外はよっぽど逍遥の宣言にいらだったのだなと察してしまう一文である。
それもそのはずで、森鴎外は誰よりも海外情勢や海外文学に詳しい人間だった。ドイツに留学したエリートであった彼は、この後、雑誌『スバル』にて海外情勢や海外の文学、芸術についていち早く情報を届ける連載「椋鳥通信」を連載していた。
ドイツの新聞「ベルリナー・ターゲブラット」の記事を鴎外が読み、その文化面から日本に紹介すべきだと思う記事を、自身の見解を盛り込みつつ翻訳し、掲載する。――今考えたらすごい連載である。
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