日本が広島サミットで生かすべき「3つの教訓」 サミットの「半世紀」とは一体何だったのか?

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2000年に行われた九州・沖縄サミットをご記憶だろうか。森喜朗首相が議長となり、ウラジーミル・プーチン大統領が初めて参加した会合で、テーマは「IT革命」という暇ネタであった。いやもう、のどかな世界であった。あのときに誕生した2000円札、どこに行ってしまったのか。

それでも2000年代になると、G8は軌道に乗ったかのように見えた。実際に2006年にはプーチン大統領を議長として、サンクトペテルブルクでG8サミットが行われている。ところが、そこへ重大な転機が訪れる。2008年のリーマンショックである。

G7もしくはG8は、いわば町内の大旦那衆の集まりであった。一部の人たちだけで町内の大事なことを決めてしまうのは、もちろんほかの家々にとっては面白くない。それでも大旦那衆はときどき大盤振る舞いしたり、困ったときに助けてくれたりするので、そこは大目に見ていた。世界経済に占める先進国の比率も、当時はまだ高かったのである。

G7/G8では決められず、G20では決まらず

ところが2008年には、一番のお金持ちであるアメリカさんのお宅が火事を出してしまった。すなわち国際金融危機が広がって、町内全体が大混乱に陥ってしまった。

こうなるとG7もお手上げである。そこで、2008年11月にワシントンDCで行われたのが第1回のG20サミットである。中国やインドやブラジルなどの新興国にも加わってもらい、一緒に手を取り合って事態を収拾しましょうということになった。

G7やG8ではなく、G20で物事を決めましょう、というのは当初はよいことのように思われた。実際にG7/G8の地位は低下して、2010年のカナダ・ムスコカサミット以降は、それまで2泊3日方式だったものを1泊2日方式に短縮することになる。

ところが実際にやってみると、20カ国(EUを含むので正式には19カ国)も集まると、一人が10分しゃべっても3時間以上かかってしまう。結局、それでは自由闊達な議論など不可能ではないか。「G7/G8では決められないが、G20では決まらない」状態になっていく。

次ページ「激震」でG8は再びG7へ
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