日本が広島サミットで生かすべき「3つの教訓」 サミットの「半世紀」とは一体何だったのか?

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もちろん、昔からこんな風だったわけではない。G7サミットが始まったのは1975年のこと。石油ショックとインフレで世界経済が大荒れだった当時、フランスのランブイエ城に先進国の首脳が集まり、胸襟を開いて討議しましょうというのが発端だった。

まだ第2次世界大戦が終結してから30年目。「敗戦国」という原罪を背負いつつ、低姿勢の外交を続けてきた日本にとっては、お仲間に入れてもらえたのはまことに光栄なことであった。

今年は16会合へ肥大化、やっぱり焦点は「本番」

そして1998年の英バーミンガムサミットから、首脳会議とは別に財務相会合と外相会合が開かれるようになる。この時点では、まだ3種類だけだったのだ。

それが今では、ほとんどの役職の大臣が会合を開くようになっていて、今年はなんと16種類も行われる。官僚的組織の肥大化といえようか。気がついたら、日本中がサミット会場になっている。

まあ、国際会議が「街おこし」の手段になってしまうのも、今のようなご時勢にはアリかもしれない。とはいえ、今は「戦時」のG7である。国連安全保障理事会の常任理事国であるロシアが、隣国ウクライナに武力で攻め込んだからには、もちろん国連は機能しないのである。

そしてG20という枠組みも、ロシアが入っているために共同宣言すらまとめられない。そうなると、動けるのはG7くらいしかない。こんな年に議長国となっている日本の責任は、まことに重大といえよう。

そこで問題になってくるのが、5月19~21日に広島で行われる本番のG7首脳会議ということになる。開催場所となるのは、元宇品(もとうじな)地区にある、グランドプリンスホテル広島だそうだ 。

宇品島(うじなじま)の造船所跡地にバブル期に建てられたもので、広島市の中心地からも近く、橋の部分を固めてしまえば警備も簡単。しかも目の前にマリーナがあり、世界遺産の厳島(宮島)へは高速船で渡ることもできる。

売り文句は「瀬戸内海の絶景を望む空と海に囲まれたアーバンリゾート」。なるほど、好都合な場所があったものである。

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