日曜劇場「ラストマン」トンデモ展開でも魅せる訳 福山雅治×大泉洋"バディ"の絶妙な上手さ
みごと、容疑者と接触するも、案の定、逃げられる。そもそも、暴力を振るわれたらかないっこない。離れている護道はすぐにフォローできない。この辺がいかにもフィクションだが、そもそもフィクションだし、皆実はどうなるの〜? というハラハラ感がドラマを駆動していく。
その後も皆実は奇想天外な捜査を続けていく。容疑者の住居をプロファイル的に探り当て訪問、目が悪いことを理由にトイレを借りることで部屋にまんまと潜入。さらに、銃を撃つ容疑者にどんどん接近していくとか、うまく行きすぎだろ、ないない、と首を横に激しく振りたくなる展開で、思い出したのは、福山雅治の代表作『ガリレオ』(フジテレビ系)のTVシリーズ第1弾の最終回であった。これも爆弾ものだった。
レッドマーキュリーという小型核爆弾に、柴咲コウ演じる、「ラストマン」における大泉洋の役割を担っている刑事が縛りつけられ、それを福山演じる天才物理学者である主人公が解体するのだが、爆弾のデザインが脱力もので、どういうテンションで見ていいか悩ましかった。
題材が題材だけにリアルに作れない事情があったのかもしれないが、それにしても……だったのだが、『ラストマン』での爆弾事件に向かっていく皆実の行動もまた、これはさすがに……というふうに思わせる。
それでもなぜか、見る気がそれほど削がれないのは、福山雅治の妙に堂々としたスター的貫禄と、大泉洋の実直なツッコミ系演技のコンビプレーの所以である。ふたりの関係性にドラマがあって、事件自体は気にならない。
“テレ朝”っぽいけど、ちょっと新しい
こうして事件は解決。爆弾犯は社会に取りこぼされた人の絶望から起こった出来事だったということがわかる。この手の物語は他局・テレ朝の人気刑事によくある。しかも男性バディものもテレ朝の自家薬籠中のものだ。が、そこに関わるのが、全盲の天才的捜査官にしたことで、テレ朝っぽいけどちょっと新しいと印象はだいぶ変わり、TBSの新作としての存在価値が生まれる。
また、皆実自身が盲人として、社会から取りこぼされがちだからこそ、自らの不断の努力で、無理解な社会に対抗し、先入観を打ち消し得るのだということに説得力が出る。皆実が「多様性の時代にマッチした宣伝要員」と揶揄される場面もあるが、まさに多様性の時代のヒーロー像の誕生である。
全盲の人物の凶悪犯捜査という企画を遂行したことはかなりチャレンジだとは思う。が、皆実のスーパーマンぶりも、こういうふうに誰もがハンデを乗り越えて、共生できたらいいなあという希望がある。物語とは現実の再現ではなく、あり得るかもしれない世界を想像することなのだから。
しかも、皆実は、全盲というハンデにもかかわらず、逆に、吾妻を励ましたり、彼女の可能性を開いたりしているのだ。褒め上手でもある。負荷を抱えながら強く、他者にはやさしい、ある意味、完璧な設定である。
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