「中学校へは行きません」選択した少女のその後 不登校は自分の一部でしかない

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転機が訪れたのは、中学2年生の秋ごろ。すこしづつ体調が回復していた私は「学校じゃないところなら行けるかも」と、フリースクールに通い始めます。フリースクールで自分と同じ境遇の子たちと出会えたことは、私に「不登校でも生きていけるんだ」という確信をあたえてくれました。その後、通信制高校に進学し、今は出版社で働いています。

あのまま いっしょだったら

自分の不登校をふり返ってみると、もう1つの道を選ばなくてよかったと、心から思っています。もう1つの道とは、小6で私をいじめたり、クラス内で対立をしたりしていた子たちと、その後もいっしょに時間をすごすという道です。もし、あのままあの子たちといっしょに居たら、流されて私も誰かをひどくいじめてしまっていたかもしれないし、もっとちがう人間になっていたかもしれません。きっとそれが一番不幸なことだったなと。彼女たちと時間や日常を共有しなかったことが、私にとってはとても大きなことだったと思います。

また、不登校というのは「学校へ行けない」という、たんなる現象ではなく、人生に関わることだとあらためて思います。不登校当時、私は「もう誰かに思ってもないことを言わされたり、行動を制限されたりしながら生きていくのはイヤだ」と強く思っていました。小学6年生のときのように、他人に価値観を押しつけられたり、誰かの意見を軸にして行動したりすることに嫌気がさしていたのです。そして、同時に学校へ戻ることではなく「どうしたら学校へ行かずに生きていけるのか」を知りたいと思っていました。

私のまわりに不登校を経験した人は居ませんでした。だからこそ、私には学校へ行かない生き方というのが、わからなかったのです。でも、どうしても自分は学校へは行きたくないし、行けない。その状況でどうやって生きていくのか、どういう人間になっていきたいのか、自分なりの「生きる」を必死に考えていたのが「不登校」という時期だったと思います。学校へ行ける方法よりも、学校へ行かないまま生きていくことを模索した時間のほうが圧倒的に長かったのです。そう思うと私にとっては、不登校は自分のこれからの人生を考える時間だったと思っています。

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