「中学校へは行きません」選択した少女のその後 不登校は自分の一部でしかない
どんな私でも 喜んでくれた犬
先が見えず悩んでつらかった時期、私の支えになっていたのは、当時飼っていたミニチュアダックスフンド。学校へ行っている私でも、学校へ行っていない私でも、彼にとってはおなじでした。だから学校へ行けずに落ち込みながら家に帰ってきたときでも、すごく喜んでくれるのです。そんなふうに接してくれる存在は当時、彼しかいなかったので、私の心の支えになりました。
それから、私を1人の人として扱ってくれる大人の存在も支えになりました。学校の先生には、どうしても「不登校の富良野さん」という見方をされ、どこか腫れ物にさわるようだったり、最初からこの子は問題を抱えている生徒、と見下されていると感じることもありました。でも幼いころからお世話になっていた学童の先生は、私の状況に関係なく向き合ってくれました。認めてくれるだけではなく「それはちがうと思うよ」と怒られたこともあります。趣味として通っていた、フラダンス教室の人たちもふつうに接してくれました。
「不登校の富良野しおん」という視点を持たない人と早めに出会えたことは、ありがたいことでした。それは、不登校というフィルターを通さず接してくれる人が近くにいることで、私自身も「不登校の私」から抜け出すことができたからです。「不登校は自分自身ではない。一部であって、全部ではない」と、自分のなかで思える1つのきっかけになってくれました。そういう人たちの存在は、自分を手放さずにいられるお守りみたいなものだったと思います。
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