村上春樹新作「文芸のプロ」が読んだ驚く深い感想 『街とその不確かな壁』は"期待通りの傑作"か

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初出作品「街と、その不確かな壁」と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にまったくなかった新作の「第二部」「第三部」の物語展開がどのようなものかは、ここでは「ネタバレ」になるので詳しく語らない。

ただ6年前の『騎士団長殺し』についての拙記事「村上春樹『騎士団長殺し』は期待通りの傑作だ」で、筆者は村上春樹の作品構造の特徴につき、作者本人の言葉(シーク・アンド・ファインド/seek and find)をもとに、何ものかの「喪失」、その「探索」と「発見」、それによる「再-喪失」という物語構造についてコメントした。

本作でも、現実世界から消えた彼女(喪失)を探し求めて(探索)、僕は高い壁に囲まれた「街」に行き着くのである。しかし、そこで再会(発見)した彼女を「本当の現実」世界に奪還することは、あらかじめ不可能(再-喪失)だった。

この物語的初期条件が、1980年に遡るこの作品の落としどころをめぐる作者の迷いを、ここまで引きずらせた真因なのだ。

というのも、あらかじめ失われた奪還不可能な彼女のために、僕は高い壁に囲まれた「街」へ赴くことになっている。しかもそこでの彼女の「発見」=「再会」は、物語的な「再-喪失」とはいっても、心を失った昔の彼女の抜け殻との再会という、何とも切ない出会い直しだった。後はその彼女を残して、この「街」を去るか、残るかの選択が残されているだけだ。

「街」は「意識の底の深いところ」にある「もう一つの現実」

では、その「街」は「仮想現実」にすぎなかったのかと言えば、そうではない。紛れもなくそこは、ただの夢、幻ではない「意識の底の深いところ」にある「もう一つの現実」だったのだ。

二つの世界は、地続きではなく、ある特殊な人間だけが「自身の内側にある秘密の通路をくぐり抜け」て、別の世界に「移動」できるという成り立ち。さて、問題はそこからの帰還である。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で、街にとどまったはずの僕は、詳しい事情は説明されぬまま、「本当の現実」世界に帰還している。しかも「街」での記憶の断片を失わぬままに。

結論を言うと、両世界を往還(壁抜けという、使い古された裏ワザはあざとすぎるが)できるのは僕だけなのだが、新作の「第二部」にはその身代わりのような「謎の少年」が登場し、彼は分身として「あちらの世界」の〈夢読み〉(殻の中に閉じ込められた古い物語の解読の仕事)の後継者となる。

さてここまで来ると、私たちは、1985年に物語的に予告された「世界の終り」はどうなっているのか、そちらの決着も気になるところだ。もしや村上春樹は、そのために「さらなる新作」を用意しているのではあるまいかと。

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