村上春樹新作「文芸のプロ」が読んだ驚く深い感想 『街とその不確かな壁』は"期待通りの傑作"か
まずは初出作品「街と、その不確かな壁」の冒頭の「1」から拾ってみよう。後に村上春樹がこんなストレートな言説は青臭く、舌足らずだと削除を施したのもむべなるかなだ。以下は、新作では消された初出作品の一部である。
(初出作品「街と、その不確かな壁」『文學界』1980年9月号)
これに続く「2」で、「君が僕に街を教えてくれた」と16歳の彼女が18歳の僕に語ってくれた、「本当の私(彼女のこと)が生きている」高い塀に囲まれた「街」についての物語が起動する。
僕はその街にたどり着くのだが、「影」を失った彼女は、過去の記憶を再現することができない。
初出作品の「最後に」と記された章では、こう記されている。
「ことばは死ぬ」がここで反復され、作者は哀切な鎮魂の歌を稚拙に歌いあげる。
この旧作から40年以上を経過した新作は、だから、永遠に失われたここでの「彼女」や、それとともにあった「歌」や「風景」に対する「鎮魂歌」の語り直しだった。
第一部だけなら、あまり実りある改作ではなかった
初出作品「街と、その不確かな壁」と新作『街とその不確かな壁』の間に存在する『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のオチについて確認しておきたい。
「街」で「古い夢」の解読を行う僕は、引き剥がされ衰弱する自身の「影」と再び合体して、「本当の現実」世界に帰還しようと企てる。だが最後に彼は、「この街を作りだした」のが、他ならぬ彼自身であることに覚醒し、その「責任」のために街に残る決断をする。
今回の新作は、街に残った彼の後日談ではない。その意味で、作者が書き上げて半年間もそのままにしていたという「第一部」は、もしただそれだけで「完了」したと言われるなら、あまり実りある改作ではないと返すしかなかったろう。
つまり「第一部」は、かの「本当の現実」世界での、僕と彼女とのなれそめと、唐突な別れに至る経緯を上書きしたという以上に、決定的な改稿ではなかったのだ。
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