村上春樹新作「文芸のプロ」が読んだ驚く深い感想 『街とその不確かな壁』は"期待通りの傑作"か

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まずは初出作品「街と、その不確かな壁」の冒頭の「1」から拾ってみよう。後に村上春樹がこんなストレートな言説は青臭く、舌足らずだと削除を施したのもむべなるかなだ。以下は、新作では消された初出作品の一部である。

「語るべきものはあまりに多く、語り得るものはあまりに少ない。/おまけにことばは死ぬ。/一秒ごとにことばは死んでいく。路地で、屋根裏で、荒野で、そして駅の待合室で、コートの襟を立てたまま、ことばは死んでいく」
「ことば。/お前はずっと昔に死んだはずだ。僕はお前が最後の息をひきとるのをきちんと見届けてから、土におそろしく深い穴を掘り、そこにお前を埋めた。そして作業靴の底で地面をしっかりと踏んで固めた。しかし十年の歳月の後に、ことばは甦った。まるで食屍鬼のようにことばは墓を押し開け、闇とともにその姿を僕の前に現した」

(初出作品「街と、その不確かな壁」『文學界』1980年9月号)


 これに続く「2」で、「君が僕に街を教えてくれた」と16歳の彼女が18歳の僕に語ってくれた、「本当の私(彼女のこと)が生きている」高い塀に囲まれた「街」についての物語が起動する。

僕はその街にたどり着くのだが、「影」を失った彼女は、過去の記憶を再現することができない。

初出作品の「最後に」と記された章では、こう記されている。

「僕はかつてあの壁に囲まれた街を選び、そして結局はその街を捨てた。それが正しかったのかどうか、いまだに僕にはわからない。/僕は生き残り、こうして今文章を書きつづけている」
(初出作品「街と、その不確かな壁」『文學界』1980年9月号)


「ことばは死ぬ」がここで反復され、作者は哀切な鎮魂の歌を稚拙に歌いあげる。

「何もかもが失われていく。失われつづけていく。かつて僕の心をときめかせた歌も今はなく、かつて僕をやさしく包みこんでくれた風景も今はない。甘いことばの数々も沈黙の闇の中に塗り込められてしまった」
(初出作品「街と、その不確かな壁」『文學界』1980年9月号)


 この旧作から40年以上を経過した新作は、だから、永遠に失われたここでの「彼女」や、それとともにあった「歌」や「風景」に対する「鎮魂歌」の語り直しだった。

第一部だけなら、あまり実りある改作ではなかった

初出作品「街と、その不確かな壁」と新作『街とその不確かな壁』の間に存在する『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のオチについて確認しておきたい。

「街」で「古い夢」の解読を行う僕は、引き剥がされ衰弱する自身の「影」と再び合体して、「本当の現実」世界に帰還しようと企てる。だが最後に彼は、「この街を作りだした」のが、他ならぬ彼自身であることに覚醒し、その「責任」のために街に残る決断をする。

今回の新作は、街に残った彼の後日談ではない。その意味で、作者が書き上げて半年間もそのままにしていたという「第一部」は、もしただそれだけで「完了」したと言われるなら、あまり実りある改作ではないと返すしかなかったろう。

つまり「第一部」は、かの「本当の現実」世界での、僕と彼女とのなれそめと、唐突な別れに至る経緯を上書きしたという以上に、決定的な改稿ではなかったのだ。

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