スタートアップ企業向けの転職・副業サイト「アマテラス」を運営する藤岡清高氏の著書『「一度きりの人生、今の会社で一生働いて終わるのかな?」と迷う人のスタートアップ「転職×副業」術』によると、「スタートアップへの転職・副業」を希望する同サイトの登録者は、2019年から2022年で「約3倍」に増加。
実際、スタートアップへの転職で「会社に依存せず、早めにスキルアップして、個人として自立したい」と願う人たちも増えているという。
従業員数1200人以上を誇る大企業「テレビ朝日」から、従業員数わずか50人程度のスタートアップ企業「令和トラベル」へ転職した元アナウンサーの大木優紀さんは、まさにそのキャリアを実現したひとりだ。
局アナ時代は、バラエティ番組『くりぃむナントカ』やクラシック音楽番組『題名のない音楽会』、夕方帯の報道番組『スーパーJチャンネル』などで幅広く活躍した。
世間的には高給のイメージもあるテレビ業界から離れて1年以上、現在は、企業広報として笑顔で仕事に邁進している。
大木さんは、なぜ18年以上にわたり勤めたテレビ朝日を辞め、スタートアップへの転職を決意したのか。その背景には、大木さんを初めて突き動かす「強い衝動」があったという。
*この記事の後編:「テレ朝辞めた"元アナ"転職」の切実すぎるリアル
「局アナ18年目」で転職を考えたのは初めて
大木さんは現在、創業わずか2年の企業で、PR業務をはじめ、社内で「D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)」のカルチャー推進のため研修実施などにも尽力している。
華やかに見えるアナウンサーの世界から一変、チャレンジングな環境へ飛び込んだ理由は、愛してやまない海外旅行への思いと令和トラベル創業の記事をたまたま目にしたことだった。
ただ、すぐには決断しなかった。転職を考えたのは初めてで「1週間後に気持ちが変わっていなかったら、転職しよう」と決意。その後、心が揺らぐことはなく、大きな一歩を踏もうと決めた。
テレビ朝日時代、40歳を目前に控えた時期に「
かつては「女子アナ30歳定年説」も叫ばれていた、アナウンサー業界。しかし、時代は変化した。
20代のうちに知名度を上げて、若いうちにテレビ局から羽ばたいてフリーになる。従来のアナウンサー像も変わりつつある中で「ほかにチャレンジすべき道が見つかったのは偶然でした」と振り返る。
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