日本の150年は変えられない「運命」だった 浅田次郎が語る「日本の運命」<上>

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占守島での話はいつか書かなければいけないと思っていた

――2010年に出版の『終わらざる夏』は「渾身の戦争文学」と言われています。

舞台となった千島列島北端の占守(しゅむしゅ)島の話は、自衛隊にいた頃に教官から戦史の時間に教えられた。

いつか書かないとまずいと思い続けてきた。終戦直後の“知られざる戦い”は教えない、伝えないのがいいと葬られた。戦後処理を有利に進めたいモスクワの政治的な意図が働いて、“人柱”になった人たちが双方にいたとしたら、こんな痛ましいことはない。

8月15日以降の事実を伝えたかった

8月15日以降の南樺太や千島の戦闘について、その後の日ソ関係の上で、外交の障害になるという意味から塗りつぶされた感覚はある。『樺太1945年夏 氷雪の門』という映画が1974年に作られたが、ほとんど公開されずにお蔵入りになった。本当はそうでないと思いたいが、当時は公開を政治的な配慮から自粛したのかもしれない。2010年夏に自主公開した映画を見たが、いい映画だった。千島の占守島も知られてない。これは書かないといけないと思って筆を下ろした。

太平洋戦争の激戦地となったペリリュー島(写真: marinescape / PIXTA)

どこかの島で玉砕した時、兵隊は基本的に同郷人なのだ。パラオ諸島のペリリュー島は、水戸の歩兵第二連隊を基幹とする守備隊1万1000人がいた。先年、墓参りした時に、赤さびでボロボロになった米国製のシンガーミシンを見た。日本軍の縫工兵が使っていたという。

――幕末史でも中国近代史でも、歴史と事実を分けてとらえようとしています。

自分なりにそうしてきたつもりだ。昔から「お涙作家」などと言われるが、僕は人を泣かせようとして小説を書いた覚えはなく、人間の本質について問いかけていけば必ず人間の感情に訴えることになる。

――『黒書院の六兵衛』も、『一路』もそうですか。

いまさら勝海舟や西郷隆盛はもうイメージが固定していて紹介しなくてもいい。

『黒書院の六兵衛』は斬新な小説で、お城の中から場面が出ていかない。密室小説であり、歴史の中央なのだけど裏場面を狙った。『一路』を書いた時もそうだ。大名行列という、とんでもない昔話に見えるが、五街道は日本のインフラ整備の根幹であったし、参勤交代はそれなりに必要な制度であった。それでも現代とつながっているという目で書いている。

(写真:梅谷秀司)

※続きは4月18日(土)に公開予定です。

塚田 紀史 東洋経済 記者

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つかだ のりふみ / Norifumi Tsukada

電気機器、金属製品などの業界を担当

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