日本の150年は変えられない「運命」だった 浅田次郎が語る「日本の運命」<上>

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浅田次郎(あさだ じろう)●1951年東京都生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞と司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞を、それぞれ受賞。そのほか〈天切り松 闇がたり〉シリーズや『プリズンホテル』『蒼穹の昴』『一路』『黒書院の六兵衛』『神坐す山の物語』など多数。ゴールデンウィーク公開の水谷豊主演映画『王妃の館』の原作者

歴史小説を書くのなら、戦国時代を書けばそれは面白いのだろう。だが、僕の守備範囲ではない。どうしても今日とのつながりが薄い感じがする。歴史を学ぶ意味は2つある。

ひとつは、現代につながる考え方や社会のありようを知ること。もうひとつは、平和な時代が続けられなくなった理由について考えることだ。つまりそれは、国家と国民の運命を知ることなのだ。

――今年は太平洋戦争敗戦後の70年の節目です。

僕は周年でどうとは思わない。ただそれをきっかけとして、研究し直したり勉強し直したりするのはいいことだ。この本の冒頭に書いているように、1928(昭和3)年は明治維新60周年だった。

その60周年記念のときに明治維新を振り返ろうという運動があった。60周年というのは還暦であり、その年は当時の日本的な感覚では非常に意味のある、ともに戊辰の辰年だ。その時に出版界は幕末・維新ブームになり、いろいろな本が出ている。

できるだけ情緒に流されないように書いている

たとえば子母澤寛著『新選組始末記』の初版が出たのが昭和3年だった。言ってみれば新選組はアウトサイダーであって、ほとんど歴史の本流とは関係がない。でも、それに子母澤寛が着目して「こういう人たちがいた」という紹介を60周年に著した。これが後世の人にとって大変な福音になった。戦後70周年の今も、いろんな事実や人物が掘り起こされて、いい本が出てくるといい。

――日本の幕末、幕末以降の近代、そして中国の近代。この3つが歴史小説のご自身の守備範囲と、この本にあります。

できるだけ情緒に流されないように、できるだけ客観的に書くようにしている。

その中には歴史の正確な史実はできるだけ盛り込む。語られていない歴史の側面をきちんと拾っていく。物語として考えた場合、情緒に流れるとパターンが同じになる。すべて作り物になってしまい、かわいそうな話になればなるほど、かえって事実からは乖離していく。それでは戦争の本質を語れない。

僕は戦争というのを情緒的にとらえてはいけないと思う。戦後の歴史観からいくと、戦争を情緒的にとらえがちだ。かわいそうな話、たとえば沖縄のひめゆりの塔にまず目がゆく。それはもちろん歴史の事実には違いないが、戦争はそれだけではない。これは国民性によるのかもしれないが、歴史を理解するのには情緒を排除しなければいけない。もっと客観的に見ていかなければいけない。先にかわいそうな話ありきで戦争を語るのは間違っている。それでは戦争はなくならない。 

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