「私か母のどちらかが死ななければ」母娘の呪縛 「本当に御免なさい」何度も踏みとどまった末に
また献身的な弁護活動をしてくれた弁護士や、「空気のような存在」だと思っていた父があかりを支える意志を示してくれたことに対する感謝の思いがあった。
長年の苦しみに理解が示されたことが、あかりにとって救いになったのだろうか。
「私自身を含め、家族の悩みは軽々しく他人に相談できない風潮が日本にはあります。儒教からくる『親は大切にするものだ』という価値観が強く、声を挙げ難い状況を作っていると思います。彼女も相談できる人がなかなかいませんでした。こうして事件の背景や動機が公けになったことで、それを知った人が共感してくれたことは彼女にとって救いだったと思います」
本書の執筆を通して、齊藤さん自身の生き方に対する考え方に変化があったという。
「妙子さんの人生を知って、自分の人生を大切にしないと他人を大切することはできないと思うようになりました。私の取材した範囲では、妙子さんは母親になかなか愛されなかったり、高卒という学歴にコンプレックスを持っていました。
けれど自分で学び直すことはせず、娘に自分を重ねて人生のリベンジをしようとしたところが見受けられます。私はまだ子どもを産む予定はないですが、他人に自分の価値観を押し付けないようにするためには、自分のやりたいことにちゃんと素直になろうと思うようになりました」
心穏やかに過ごしてくれたら
齊藤さんは共同通信社を退職し、執筆活動をしながら学生時代から続けてきたラクロス選手としての活動に力を入れ、日本代表を目指している。
「母に、『社会人になってからもスポーツをするの』とすごく難色を示されたので、自分でも『よくないことなのかな』と以前は思っていたんです。でも親の期待に応えることが人生ではないですし、心から関心のあることはやり遂げたいと思いました。この事件と向き合ったことが、その後押しとなりました」
今後のあかりの人生に対して齊藤さんはどんな思いを抱いているのか。その答えについて深く考え込みながら、齊藤さんはこう語った。
「言葉にするのはすごく難しいところがあります。なぜかというと、服役を終えて出所したら、彼女にしかわからないハードな問題やつらさがあると想像するからです。
彼女にはこれから自分のやりたかったことに取り組んでほしい、文章を書くことが上手なのでぜひその才能を発揮してほしいという思いがあります。しかし出所後の苦しみを知らずして『頑張れ』とは言えません。何か言えるとしたら、心穏やかに過ごしてくれたら。それが一番なのかと思っています」
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