「私か母のどちらかが死ななければ」母娘の呪縛 「本当に御免なさい」何度も踏みとどまった末に

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「最近、私の中でまた新しい解釈が生まれています。1つは、彼女は相当な覚悟を持ってお母さんとの関係を断ち切ろうとしていたということです。世の中の殺人事件の動機には『カッとなってやってしまった』という衝動的なものもあります。

でも彼女の場合は何回も踏み止まり、実際に犯行に及ぶ直前にも『本当にこれでいいのか』『怖気付くな』とメモに残しており、自分を奮い立たせているんです。また、毛布を切りつけて刺す練習もしています。相当な覚悟でこの結果をもたらしたという重さが伝わってくる一文だと思います。

もう1つは最近思い至ったことなのですが、あかりさんもお母さんを少しは愛していた部分があったのではないかということです。お母さんが消えてほしいだけの存在だったら、『母が死ぬしかなかった』と書けばいい。そこを『私か母のどちらかが』と書いたのは、お母さんの命に手を下してはいけないという気持ちがあったからではないかと思います」

監獄を出た、娘の未来とは

あかりは第一審では死体損壊・死体遺棄は認めたが、母の殺人容疑は否認を貫き「母は自殺した」と主張していた。しかし控訴審の初公判では一転して母を殺したことを認め、詳細に経緯を語るようになった。あかりがすべてを話すことを決めた背景には、第一審の判決文を読み上げた大西裁判長が、あかりの苦しみに対して理解を示す言葉をかけてくれたことが大きく影響した。

「お母さんに敷かれたレールを歩みつづけていましたが、これからは自分の人生を歩んで下さい」という裁判長の説諭が深く、温かく胸に染み入り、涙がこぼれそうになった。

誰にも理解されないと思っていた自分のしんどさが、裁判員や裁判官に分かってもらえた——嘘をついているのに。

それが嬉しくて、ありがたくて心が救われたようだった。

もう、嘘をつくのは止めよう。

父も弁護士も、本当の私を受け入れてくれるだろう。控訴審できちんと打ち明けて、真相を知ってもらおう。ようやく、迷いはなくなった。

次ページ長年の苦しみに理解が示された
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事