「私か母のどちらかが死ななければ」母娘の呪縛 「本当に御免なさい」何度も踏みとどまった末に
あかりは看護学科で学ぶうちに、外科手術に関わる手術室看護師を志望するようになった。母は看護学科に進学する条件として「助産師になること」を約束させていたが、あかりは助産師になることに熱意を持つことはできず、大学の助産師課程選抜試験に不合格となった。
助産師学校の公開模試の結果もD判定だった。すると母は激昂し、看護師としての就職を断り助産師学校を受験することを強要した。「(病院に看護師として就職したら)死んでやる、病院で暴れてやる、お前が病院にいられなくしてやる!」と言い出したこともあった。
戻りたくはない地獄
なぜそこまで母は助産師にこだわったのか。
「お母さんは看護師という仕事に対して職業差別的な偏見があったのだと思います。お母さんの高校時代の友人に看護師だった方がいたこともあって、自分の子どもにはさせたくない仕事だと考えていたのだと推察します。
ではなぜ助産師ならいいのか。ご本人のみが知るところではありますが、助産師の資格は看護師よりは難易度が高いので『看護師よりは少しでも上の資格をとってほしい』と考えたのかもしれません。医師にすることはかなわないとわかってしまったので、それに代わる道を勧めようとしたのだと思います」
あかりが母を殺そうと思ったのは、九年におよぶ医学部浪人を強制されたからではなかった。その「地獄の時間」を脱し、ようやく自分の足で歩こうとしたとき、またも母の暴言や拘束によって「地獄の再来」となることを心から恐れたのだ。
二〇代のときには耐えられた、受け流すことができた「地獄」も、九年の浪人を経て大学という外の世界を見、三〇歳を超えたいまとなっては、二度と戻りたくない場所だ。
あかりが控訴審で提出した陳述書は、「いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」という言葉で締めくくられている。この一文に強く引き付けられたという齊藤さんは、どう捉えたのだろうか。
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