もう作れない?「ルーズソックス」が直面する現実 90年代に大流行「E.G.スミス」の歴史にも迫る
実は、ルーズソックスは茨城県水戸市と宮城県仙台市から広まったという説がある。仙台や水戸の女子高生が防寒のために、サイズの大きい靴下をゆるめて履いたという、説だ。
そのほかもさまざまな説があるが、ルーズソックスは「E.G.スミス」を筆頭に「ソニープラザ(現PLAZA)」を中心に販売され、ミニスカートやブーツに合うソックスとして人気商品になったのは間違いない。
都内の女子高生がはいて雑誌に紹介されたのが、全国に広まった大きな理由だろう。
「「E.G.スミス」はヨーロッパでも、アメリカでも販売されていましたが、まったく同じルーズソックスを日本でも販売していました。1990年代はアメカジ、渋カジが流行していたのもあって、ラルフローレンのニットのようなインポートものが人気でした。「E.G.スミス」も、『アメリカ製』という理由で、ルーズソックスの中でもいちばん人気を得ていたのではないでしょうか」(E.G.スミスの担当者)
どんどん長くなっていったルーズソックス
「E.G.スミス」が日本で販売するルーズソックスは、ミニスカートに似合うようにもっと足元にボリュームを持たせたい、などの女子高生の声を受け、どんどん長くなっていったという。
「日本で販売し始めた当時は、編み上げのブーツに合わせるような『ブーツソックス』という形で販売していました。長さも、最初は34cmから販売していたのですが、もっと長さが欲しいという女子高生の声に応えていくうちに、40cm、60cmと長くなっていき、最終的には140cmまでになりました」(E.G.スミスの担当者)
ちなみに、ほかの海外のアパレルメーカーの各社は、「ルーズソックス」という言葉を使用せず、「SLOUCH SOCKS(スラウチソックス)」という言葉を用いていた。
「スラウチソックス」も「ブーツソックス」同様、女子高生を中心に瞬く間に人気になり、1990年代後半にはいつの間にか「ルーズソックス」の愛称で呼ばれるようになっていった。
さて、「E.G.スミス」に話を戻すと、2000年には、「E.G.スミス」のデザイナーのスミス氏自身も、10代少女向けファッション誌の『プチセブン』にたびたび登場し、その明るいキャラクターで人気を得た。
「E.G.スミス」は『プチセブン』とコラボし、抗菌効果のある「BIOBIOBOOT」や、110cmの「MAX BOOT」をネットで限定発売するなど、斬新なアイデアで読者や消費者を楽しませていた。
こうして日本を含め、世界中で販売されていたルーズソックスも、現在では一大ブームとなった平成の当時のように、商品を生産することができなくなった。
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