19世紀の英国は、このようにデフレが恒常化した時期だったのです。ところがその間、不況で労働者の生活が苦しくなっていったかというと、これが全く逆の状況だったわけです。
デフレだったが、実質賃金が8割も上がった英国
というのも、19世紀後半の50年の間に、労働者の実質賃金は8割も上がっているからです。実は、19世紀の英国では、当時の主要なエネルギー源であった石炭の生産が、採掘技術の向上にともなって飛躍的に伸び、その価格が大きく低下しています。「エネルギー革命」が起きたのです。
それ以外にも1846年に、穀物の輸入を制限し食料価格の高止まりを招いていた「穀物法」が廃止されたことで、日々の食べ物が安くなり、物価安を後押ししたという要因もありました。
石炭が安くなり、暖房や移動に潤沢に使えるようになった上に、食料価格まで下がったのですから、この時代、人々の生活は格段に便利に、そして豊かになりました。経済は物価とは逆にしっかりと成長し、1人当たりの実質GDPや実質賃金が伸び、平均寿命も大きく延びたのです。
とりわけ1870〜1890年代、19世紀の中でも特にデフレの幅が大きく「大デフレ期」と呼ばれた期間、イギリス人の1人当たり実質GDPや実質賃金は飛躍的に増えています。
さらにこの時代、労働者の社会的な権利も確立されています。1832年に第1回の、1867年と1884年に第2回、第3回の選挙法改正が行われ、1871年には労働組合法で組合活動の合法性が認められるなど、労働者階級の政治的な権利が次々と拡大されていったのです。
産業革命初期の段階の英国では、資本家が利益を追求し、労働者を劣悪な環境の下で長時間労働に駆り立て、子供を工場で働かせるといった問題も見られました。
カール・マルクスがエンゲルスとともに『共産党宣言』を発表したのは、1848年のことです。マルクスが目にしたのは、そうした初期の労働の現場だったわけです。
しかしその後、エネルギーコストが暴落したことで、工場の機械化も進み、労働条件は改善されていきました。その意味ではマルクスが見て資本主義の根本的な欠陥と感じた、19世紀前半の英国の労働者の問題はその後、共産主義革命が起きる前に、一部は解決されていたのです。
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