19世紀の後半、なかでも1870〜1890年代にかけて、経済が大きく成長していた時期のアメリカもデフレの状態でした。石油王のジョン・ロックフェラーや鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーが活躍し、トーマス・エジソンが蓄音機や白熱電球を発明し、アメリカの科学と産業が先進国である英国をキャッチアップしていった時期です。
実のところ、この時期のアメリカにも、19世紀の英国と共通する出来事が起きています。それはやはり、エネルギー革命です。英国で石炭の価格が下がったように、アメリカでは1859年のペンシルベニアの油田で原油の大量生産が始まり、エネルギー価格が飛躍的に下がり始めたのです。
エネルギーコストが飛躍的に低下する時期は、それまで人力で賄われていたような作業が機械に代替され、食料から工業製品まで生産性が高まって、物価全体が下がっていきます。そうした時期、人々の暮らしは豊かになり、便利になっていきます。これが、典型的なデフレ下での好況であるわけです。
「デフレ=不況」を広めた経済学者には責任がある
一方、エネルギー価格が高騰すると、その逆の現象が起こります。その典型例が1973年からの第一次オイルショックです。
1973年10月、イスラエルとエジプト、シリアなどの中東アラブ諸国との間で起きた第四次中東戦争をきっかけに、石油輸出国機構(OPEC)に加盟するペルシャ湾岸の産油国が、原油公示価格を大幅に引き上げることを表明します。最終的には、1バレル3.01ドルから11.65ドルまで引き上げることが決定されました。
石油価格の大幅な上昇は、エネルギーを石油に頼ってきた先進諸国の経済に大きな打撃を与えました。日本では、折からの列島改造ブームによる地価上昇にオイルショックが加わったことで、1974年には消費者物価指数は23%上昇するという「狂乱物価」が発生しました。
この年、経済成長率はマイナス1.2%と、戦後初のマイナス成長を記録しています。このときは日本だけでなく、世界中の先進国で高率のインフレと同時にマイナス成長となる不況が発生し、スタグフレーションと呼ばれる経済状態に陥りました。
ところが、なぜか経済学を学んできた人たちの頭には「デフレ=不況」というイメージが刷り込まれてしまっているようです。それが間違った認識であるということは、19世紀以降の英米の歴史をざっと見ただけでも一目瞭然であるというのに、こうした理解が十分に広まっていない背景には、「デフレ=不況」という誤解を広めてしまった経済学者たちの大きな過失があるといわざるをえないのです。
デフレやインフレは、あくまで経済現象の「結果」にすぎません。シェール革命やそれに続くエネルギー革命が起ころうとしている今、「原因」と「結果」を取り違えて議論する経済学者の方々は、その土台を一回壊してから議論を始める必要があるのではないでしょうか。
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