「脱サラしてプロ棋士に」"非エリート"が叶えた夢 小山怜央「震災を乗り越え、20年挑戦し続けた」

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「相談したいことがあるんだ」

怜央がそう言って岩手に帰ってきたのは、2021年の春を前にしてのことだった。両親に怜央は決心を伝える。

「会社を辞めようと思う。棋士の編入試験資格を得るために、将棋の勉強に集中したい」

プロへの挑戦はこのときが初めてではない。

棋士の養成機関である奨励会は、過去に2度受験したが合格できなかった。2度目は大学4年時、アマ名人戦で優勝したときだった。奨励会の最上位クラスである三段リーグへの編入試験資格を得て、大学を半年間休学し臨んだが、突破はならなかった。

「とても残念でしたが、気持ちを切り替えて、就職して頑張ろうと思いました。リコー将棋部の主将から、横浜にある関連会社を紹介していただいたんです。システムエンジニアとして、新しい一歩を踏み出す決心をしました」

研修期間は予想以上に覚えることが多く、将棋に割ける時間はほとんどない。それでも片道1時間半の電車通勤の時間に将棋アプリで対戦したり、帰宅後は就寝までの時間でプロの棋譜中継を見たりするなど、少しでも将棋に触れることは忘れなかった。そして休日はアマ大会に参加し続けた。

自ら崖っぷちに身をおいての再挑戦

息子から会社を辞めたいと聞いても、父も母も反対する気持ちはなかった。就職して3年、専門職としての技術も身についてきた。27歳という年齢は、家庭を持つことを考える人もいる時期だろう。「だが」と敏明は言う。

「震災の前だったら、我慢して働けと言ったかもしれません。私自身、仕事に打ち込んで生きてきましたから。でも津波でたくさんのものを失い、夢があるなら、やらなければダメだと思うようになったんです」

会社の上司と将棋部の部長に伝えると、2人とも「頑張ってほしい」と背中を押してくれた。当面の生活は貯金と失業保険手当でやっていくつもりだったが、本人の中に不安はなかったのだろうか。怜央が振り返る。

「もし、そのときに彼女がいて、その人が将来を考えてくれていたら、迷う気持ちもあったかもしれません。自分一人で踏み切れる状況だったのは大きかったと思います」

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