「脱サラしてプロ棋士に」"非エリート"が叶えた夢 小山怜央「震災を乗り越え、20年挑戦し続けた」

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「子どもたちは、あそこにいますよ」

妻が指すほうに小学生から高校生までの人垣ができていた。皆、熱心に何かを覗き込んでいる。その輪の中心にいたのは、将棋盤を挟む長男・怜央と次男・真央だった。この当時高校生だった怜央こそが、今春からプロ棋士となるその人である。

真剣な眼差しが盤上に注がれる。小学生で将棋を覚えたときから、2人はいつも夢中だった。津波で家を失い先行きが見えない今も、その姿は変わらなかった。

(呆然としているんじゃないかと思ったが、この子たちは大丈夫だ)

2人の対局が終わるまで、両親は声をかけずに見守った。

「会社を辞めようと思う」と言った息子

約3週間後、避難所に電気が通ると、敏昭は盛岡まで行きノートパソコンを購入した。仕事で使うだけでなく、夜は息子たちにネットで将棋を指させてあげたかった。怜央は毎晩熱心に対戦し、互いに知っている相手には「無事で何とかやっている」と伝えた。

小山怜央さん
小山怜央さん(写真:筆者撮影)

将棋のつながりはこれだけではなく、各地の大会で知り合った人たちが、避難所に励ましに訪れてくれた。家族にとって、それは大きな支えとなった。敏昭は言う。

「避難生活をしているのに、将棋なんてという声もあるでしょう。でもあの状態で何もしなければ、子どもたちは精神的にも参ってしまったと思います。

被災者といってもそれぞれに事情は違う。帰る家のある人や親戚に身を寄せる人たちは、日が経つにつれて避難所から出て行きます。どこにも行けない者や家族を失った人たちには、寂しいやら羨ましいやら、なんとも言えない気持ちが残る。

家が残っても援助を受けられずに生活に困っている人からは、『避難所は何でもタダでもらえるからいいよね』という声も聞こえました。息子たちだってその空気を感じます。そんな中で何もやることがなかったら心がダメになってしまう。野球など体を動かすことで支えている人もいました。私の息子たちにとっては、それが将棋だったんです」

小山家は釜石高校体育館での避難所生活を4カ月半送り、その後に仮設住宅へと移った。怜央は岩手県内の大学に進学、卒業後は神奈川県の企業に就職する。

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