徳川家康20歳、三河一向一揆での「冷酷処分」の怖さ 「三大危機」のうちの1つをどう乗り切ったのか

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「家康様ならばこそ逃げたが、お前たちだったのか!」

半之丞が取って返してくると、松平金助らと槍を激突させる。だが、争っているときに、家康が駆けつけて「蜂屋め!」というと、またも半之丞は逃げ出していった。情けない半之丞の様子を見て、家康はことのほか上機嫌にこう言ったという。

「蜂屋めは自分から逃げだすようなやつではないが、私を見て逃げだした」

そんなふうに『三河物語』では、家康の勇猛ぶりが強調されている。また『徳川実紀』においても、家康が前線で活躍した結果、一揆の鎮圧に成功したとしている。「君」とは家康のことを指す。

「君がご自分で攻撃なさることが度重なり、明くる七年になると門徒たちの勢力は衰えて、御家人たちも罪を悔い帰順してきたので、一人も罪をおとがめになることなく、そのまま召し仕えた」

ここでは一揆を鎮圧したあとに、家康が広い心で一揆の関係者を許した様子まで描かれている。だが、家康は決して簡単に彼らを許したわけではなかった。

和議を持ちかけられた家康

「和議を結びたい」

そう持ちかけてきたのは、先に家康とのやりとりを紹介した、蜂屋半之丞(貞次)だった。家康側の窓口となったのは、大久保忠佐である。

家康が和議に応じる姿勢を見せたので、改めて半之丞のほか、石川康次や本多甚七郎らが「敵対したことを許してもらえるのならば、過分のご慈悲と存じます」と平身低頭しながらも、こんなお願いをしている。

「寺院をこれまでどおりにしてください。また一揆を企てたものをお許しください」

やや厚かましい和議の条件のようにも思えるが、その理由について「処罰される者がいると、和議がまとまらない」と話している。確かに言い分は一理あるだろう。大久保からそのまま伝えられた家康は、こんな返事をしたという。

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