大事な場面で「結果出す人」「出せない人」の決定差 リーディングジョッキーによる「勝負論」
返し馬やゴールした後の馬との時間を適当にやり過ごしている騎手は、絶対に上手くならないし、たとえ一時期たくさん勝つことがあったとしても、確実に消えていく──。これが僕の持論です。
生き残るために必死にやってきたからこそ、何をどうしたら人は落ちていくのかもよくわかるのです。
返し馬やゴール後の時間を大切にするなんて、僕からすれば当たり前のことですが、それができない人間があまりにも多いから、これだけ成績に差が出るのでしょう。
僕自身、そこは誰よりも丁寧にやっている自負があるので、それが自分に対する確たる自信につながっている面はあります。
疲れているからこそ、そこに本質が出る
とくに大事なのはゴールした後。馬は当然、疲れ果てているわけですが、同じように人間も疲れているシーンですよね。
疲れているからこそ、そこに本質が出ると僕は思っています。
精一杯に走って疲れ果てている馬の上で、人間が疲れているからといって適当な止め方をしたらどうなるか──。当然、馬は嫌な思いをするでしょうし、脚元にも余計な負担がかかります。
一番疲れているのは、間違いなく馬なのです。
人間は、馬から下りればいくらでも休めるのだから、せめて馬の背中にいる間は丁寧な仕事をして、どれだけ疲れていようが厩務員さんに無事に返すまでは、絶対に気を抜いてはいけないと僕は思います。
ゴールに入る瞬間もそうです。その瞬間、お尻を上げているジョッキーを、僕がオーナーや調教師だったら乗せようとは思いません。ゴールに入るまでがレースなのですから、そこまでやり切るべきでしょう。
では、なぜお尻を上げるのかというと、自分がキツイからであり、ジョッキー自身が早く楽になることを優先した結果です。
でも、頑張って走っているのは馬なのです。だったら、あと一完歩、二完歩、なぜ頑張れないのでしょうか。そこで頑張れない人間が、普段の調教も含め、はたして馬の気持ちや口向き、体の状態や動きを考えてちゃんと乗っているかというと、僕にはそう思えません。
1つひとつは日々の細かい積み重ねですが、見ている人は見ていますし、わかる人にはわかります。それがいつしか大きな差となって、表面化するのです。
ゴールに入った後の止め方でいえば、力の入り具合は馬によってさまざまですが、数ミリ単位の指の動きでコントロールします。そして、それはレース中でも必ず技術として生きてきます。
たとえば、馬が引っかかったとしたら我慢をさせるわけですが、数ミリ単位の調整が利くのと利かないのでは、馬のリズムも消耗度も確実に変わってきます。しんどい中でも、いかにバランスを崩さずに我慢させることができるか。そういうところにもつながってくるのです。
今も昔もこれからも、僕はそういった仕事を絶対におろそかにしません。成績が伴ってきたのは結果論ですが、これが僕の中にある自信の源の1つです。
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