大事な場面で「結果出す人」「出せない人」の決定差 リーディングジョッキーによる「勝負論」

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ダービーですから、当然、ピリッとしたほどよい緊張感はありましたが、ハープスターの桜花賞のポケットや凱旋門賞の控え室で味わった、自分の鼓動が耳の奥から響いてくるような緊張は、当然ながらまったく訪れませんでした。

なぜなら、「当たり前のことを当たり前にやるだけ」だからです。

でも、たとえばゴルフのコンペで、十数人が見ている前でティーショットを打つとなったときは、めちゃくちゃ緊張します(笑)。「いいショットを打ちたい!」という思いがある半面、いいショットを当たり前に打てる技術が自分にはないことがわかっているからです。当たり前ではないことをやろうとして、自分で自分を緊張させてしまっている状況ですね。

でも、競馬でそういう状況に陥ることはありません。そもそも、僕は上手に乗って当たり前であり、基本的に下手くそに乗ることはないと考えているからです。

もちろん、若い頃は背伸びをしたばかりに失敗したことは多々あります。今、そのレースを見返したら、「なんでそんな競馬しちゃうの?」と恥ずかしく思うほど下手に乗っていると思います。

何事も、初めから完璧にできる人間なんていません。それは僕も通ってきた道です。今でもたまに「俺、下手に乗ったなぁ」と思うレースがあります。そういうときは、自分で自分にビックリしていますけどね(笑)。

揺るがない自信、その根底にあるもの

自分でも不思議なのですが、僕はジョッキーになる前もなった後も、自分に「自信がない」と思ったことはありません。散々負け続けてきたくせに、なぜか自己肯定感が高すぎるのです(笑)。

根っから調子に乗っている性分なのかもしれませんが、ジョッキーとしてデビューし、思ったように成績を挙げられない中でも、常に自信だけはありました。

ジョッキーとは、選んでもらわなければ成り立たない仕事です。

そんな中、たとえば同じ技量の若手が2人いたとして、「僕でいいんですか?」と自信なさげな若手と、「僕に任せてください!」と威勢のいい若手がいたら、僕が調教師だったら間違いなく後者を選びます。

それで結果を出せなかったら、「今日は下手に乗りました。すみません!」と素直に謝り、反省をする。それは意識的に演出するまでもなく、僕は心からそう思っていたし、実際にそうしてきました。

馬主さんの立場に立ってみても、自信がないようなジョッキーに自分の大事な馬を乗せたくないはずです。結果が出ようが出まいが、自信を持ってレースに向かう。ジョッキーとしてとても大事なことだと思っています。

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