オウム後継「13億円資産隠し」疑惑が看過できぬ訳 被害者は泣き寝入り?賠償は滞った状態が続く

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ここに行き着くまでの、まるでイタチごっこのような経緯を少し詳しく振り返る。

オウム真理教に対しては、1995年3月の地下鉄サリン事件と教団施設への強制捜査が入ったわずか3カ月後の6月に、所轄庁の東京都と検察が宗教法人の解散命令を請求した。

化学兵器のサリンの大量製造を企てた殺人予備行為が、宗教法人法第81条に定める解散事由の「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」に該当するとした。

同年10月には東京地裁が請求を認めて解散命令を出し、翌1996年1月には最高裁で最終的に決定。法人格を失った。

1996年5月には、教団が破産。破産管財人は教団の資産を売却するなどして、債権を届け出た被害者や遺族に約15億円を配当し、残る債権は、2009年にオウム事件の被害者、遺族を支援する「オウム真理教犯罪被害者支援機構」に譲渡している。

公安審査委員会が解散指定処分の請求を棄却

一方、政府は破壊活動防止法(破防法)に基づく解散指定を請求するための手続きをはじめた。暴力主義的破壊活動を行った団体に対して適用される措置で、指定されれば強制的に解散させられ、構成員は監視下に置かれる。宗教法人の解散どころか、任意団体としても活動が禁止される。「団体の死刑」とも呼ばれるものだ。

公安調査庁は1996年1月から教団への弁明手続きを行い、公安審査委員会へオウム真理教の解散指定を請求している。だが、公安審査委員会は1997年1月に、解散指定処分の請求を棄却する。

これで息を吹き返したのがオウム真理教だった。教祖や幹部の多くが刑事事件で裁かれているにもかかわらず(結果は起訴192人、有罪190人、うち死刑13人)、残った信者たちが「私たちまだオウムやってます」とプラカードを掲げて、白昼の繁華街で踊るパフォーマンスをしてみせたり、東京の秋葉原で正体を隠したパソコンショップの経営をはじめたりした。

教団が新しい活動拠点を取得しては、各地の住民と軋轢を生み、激しい追放運動も相次ぐ。あまりの傍若無人ぶりに日本中が憤慨して、たちまち社会問題化した。

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