池袋駅は品川線(品川―赤羽間)と豊島線(池袋―田端間)の分岐点として計画され、現在も山手線の車両基地が近くにあって、運転の拠点となっている。1914年に東武東上線の前身の東上鉄道、1915年に西武池袋線の前身の武蔵野鉄道が乗り入れ、乗換駅としての発展が始まった。さらに関東大震災で東京の人口の郊外への流出が加速し、池袋駅周辺のにぎわいも増した。
乗換駅として発展した
本格的な繁華街への変貌は、山手線の慢性的な混雑を緩和するべく建設された、営団地下鉄(当時)丸ノ内線が1954年1月20日に開業してからだ。この地下鉄はビジネスの中心地である大手町や霞ケ関方面へのショートカット路線となって、池袋の利便性を大きく向上させた。さらに丸ノ内線の混雑も慢性化したため、「バイパスのバイパス」として、1974年10月30日には有楽町線池袋―銀座一丁目間が開業している。
これら各鉄道の相互間の乗換客は、池袋発展の基礎となった。だがかつては、にぎわいは駅に隣接する私鉄系の百貨店と周辺のごく一部にとどまっており、なかなか周辺まで広まらなかったといわれる。「駅袋」と揶揄されたともされ、要するに乗換駅があるだけの町と見なされていたのだ。
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