東北本線、山手線などを建設したのは、日本初の民営鉄道(私鉄)であった日本鉄道である。現在の常磐線も同社が建設を進め、1896年に田端―土浦間が開業。さらに山手線とこの鉄道を結ぶ路線が「豊島線」の名で計画された。山手線池袋―田端間のルーツである。
計画変更で現在位置に
この支線は最初、最短距離を一直線に結ぶべく、目白―雑司ヶ谷―大塚―巣鴨―田端のルートが予定された。しかし起点となる目白駅が、堀割の中にある手狭な駅で、スペースが必要となる分岐点としては適当ではないと考えられ、もう少し北の、広い平坦地が取れる池袋に信号場を設置。分岐させる計画に変更された。
豊島線は開業前に品川線(品川―赤羽間)と統合されて山手線と改名し、1903年4月1日に営業運転を開始。このとき、池袋駅が信号場から正式な駅へ格上げされたのをはじめ、巣鴨駅、大塚駅も誕生している。2023年には開業120周年を迎える。歴史の古さは、駅東側に残るガードの、レンガ積みの橋台からもしのべる。
当初の計画では、大塚駅の位置はもう少し南側が予定されていた。「大塚」と呼ばれる土地は、文京区の大塚1~6丁目付近で、東京メトロの新大塚駅、茗荷谷駅、護国寺駅に囲まれたあたりだ。丸ノ内線の駅は後からできたので「新」を冠しはしたが、本家はこちらだ。
ルート変更後の大塚駅は、建設中には所在地から「宮仲駅」と命名される予定であったが、近在のより大きな集落であった大塚の名が与えられたのだった。山手線での同様の例としては、目黒村の中心部からは離れており、現在も目黒区ではなく品川区に所在する目黒駅がある。
今の大塚駅周辺の町名は北大塚、南大塚となっている。これは駅名に由来しており、実態に合わせて1969年に巣鴨または西巣鴨から改称されたもの。学校名や巣鴨警察署、都電の巣鴨新田停留所などに旧町名が残っている。
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