もともとの大塚も、現在の春日通り沿いに人家や商家が集まる、有力な集落であった。1913年には東京市電(後の都電)も大塚辻町(現在の新大塚駅付近)から大塚駅前まで路線を延ばし、山手線や王子電気軌道と接続。都心方面からのアクセスも改善された。
東武東上本線の前身の東上鉄道は、1912年の鉄道敷設免許の申請時には小石川区大塚辻町を東京側のターミナルと予定していた。市電との接続やさらなる都心部への進出を目論んでの計画だが、大塚が魅力ある場所であったためでもある。
大塚の繁栄に目をつけたのが、百貨店の白木屋であった。大塚駅前に分店を開き、1937年には当時としては大規模なビルへと建て替え。大いに繁盛した。戦前の池袋は駅がある程度で繁華街としては未成熟であり、にぎわいでは大塚にはおよばなかった。
この白木屋大塚分店の建物は戦後、所有者が転々としたものの、商業ビルとして、2017年までその姿をとどめていた。現在は高層マンション「パークアクシス大塚ステーションゲートタワー」に建て替えられ、低層階にはドラッグストアやファミリーレストランが入居している。
駅前広場が地域のシンボルに
JR大塚駅自体にも、2009年まで山手線では最後の木造駅舎が残っていた。同年から駅ビルへの建て替え工事が始まり、南北自由通路が設けられている。都電荒川線の乗り場はJRの高架下で、スムーズな乗り換えが可能だ。北口広場は2021年に再整備が行われ「ironowa hiro ba(イロノワヒロバ)」と愛称がついた。大きなリング状の複数のモニュメントが新しい大塚のシンボルとなっている。広場自体も歩行者優先の基盤作りが行われた。
南口側の駅前広場も整備され、都電の線路が外周をなぞるように走る、その場も「TRAMパル大塚」と名付けられた。イベント広場としても活用されているほか、地下には駐輪場も設けられており、駅前の美観維持にも一役買っている。都電荒川線沿いには多数のバラが植えられ、これもまた地域のシンボルとして親しまれている。山手線の駅前としては珍しいタイプの空間づくりでが行われており、公共交通機関の結節点としてのみならず、“人が集まる場所”としての機能も果たしている。
北口、南口とも隣接して商店街があり、北口側はビジネスホテルやチェーンの飲食店が集まる。南口側は地域の中心として今も信仰を集めている天祖神社の周辺が、サンモール大塚商店街になっており、駅側の入り口には鳥居も建てられている。
谷底の町らしい高低差のある狭い露地が広がり、安価な飲食店も多く集まって活気があるが、防災上は確かに好ましくない。区画整理事業が戦後すぐに行われたゆえ、建物の老朽化も進んでいる。そのため、再開発が計画されており2022年には準備組合も設立された。今、にぎわいが大塚には訪れている。ぜひ、ほかの町とは違う個性を持った開発が行われることを期待したい。
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