闘い10年、大川小「津波裁判」映画が示す悲痛な教訓 子どもの死亡を検証する「CDR」の大きな課題
なぜ大川小だけ多数の死者を出したのか
大川小学校(宮城県石巻市)といえば、東日本大震災で津波に襲われ、近隣の小学校と比べ大きな犠牲を出したことで知られる。犠牲者は児童74人(うち4人は行方不明)、教職員10人。裏山にすぐ避難できる条件があったにもかかわらず、そこに避難をしなかったことも社会に衝撃を与えた。
「なぜこの学校だけ、このように多数の死者を出したのか」
遺族であればなおのこと、この問いが脳裏から離れず、答えを探して必死にもがいていたことは想像に難くない。
映画はその答え探し、つまり検証がその後どうなったのかを遺族の目線で追ったものだ。寺田和弘監督(51)は、マスコミ向け試写会で「遺族が経験したことを追体験していただけたら」と語った。
はたしてそのとおり、フロントラインプレスCDR取材班の筆者は、スクリーンを見ながら、遺族グループの内側にいて、一緒に答えを探し続けているような感覚にとらわれた。というのも、この映画には、遺族たちが撮った映像が多く含まれるからだ。


















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