闘い10年、大川小「津波裁判」映画が示す悲痛な教訓 子どもの死亡を検証する「CDR」の大きな課題

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

例えば、市教委が開いた第1回保護者説明会。これは遺族たちが開催を求め、発災からおよそ1カ月後に実現したものだ。真実を聞きたいという遺族たちを前に、校長や生還した教務主任、それに市教委の担当者らが居並ぶ。学校関係者の硬い表情、保護者からの厳しい発言の数々が生々しい。

保護者席から撮影されたこうした映像は、行政の説明が時として実態とはかけ離れていたことを示す。市教委側は説明会を10回で打ち切った理由を「納得が得られた」からと説明したが、映画を見ればその正誤は明白だ。

市教育委員会による第3回保護者説明会
市教育委員会による第3回保護者説明会(©2022 PAO NETWORK INC.)

文部科学省が仲介して2013年2月に大川小学校事故検証委員会が立ち上げられたときも、遺族は映像を撮り続けた。検証委員は誰か。どういう前提で検証が進んでいったか。そしてどんな結論だったか。それらの情報が、遺族が得たのと同じ形で伝わってくる。

寺田監督は、遺族へのインタビューや遺族による独自検証の様子を、そうした記録映像の間に挿入している。それぞれのタイミングで、遺族が何を思い、何に希望を持ち、失望したのかが浮かび上がる。

遺族は当初、市教委側が真実を示してくれるものと期待していた。しかし結局、うやむやにされてしまったと落胆。希望をつないだ検証委員会の開催には、事情聴取や資料提供で最大限に協力したが、それまで遺族が調査・確認してきた以上のものは出てこなかった。事実解明の道が閉ざされた絶望感や焦り。それもインタビューで吐露されている。

真実を明らかにするには裁判しかなかった

検証委員会は、被害が起きた理由として、①避難の意思決定の遅れ、②避難先の誤り、の2点を結論づけた。ただ、遺族が最も知りたいと願っていたのは、「なぜ意思決定が遅れたのか」「どうして避難先を誤った場所としたのか」だった。地元の市教委も、専門家が入った検証委員会も、結局は遺族が求める「なぜ」に答えを出せなかった。残る選択肢は、真実を明らかにしようとする公的な場、つまり裁判しかなかった。

遺族のうち19家族23人は2014年3月10日、石巻市と宮城県を被告とし、仙台地裁に損害賠償請求訴訟を提起した。そして2019年10月10日、最高裁で「平時からの組織的過失」を認めた仙台高裁判決が確定する。

学校や市教委の法的責任を追及することを遺族は当初から望んでいなかった。原告代理人もそれを繰り返し説明している。映画の観客による「追体験」も、遺族が訴訟を起こした判断は止むにやまれぬものだったことを教えてくれる。

「お上に盾突くのか」という周囲の反発や、死亡した子どもに値段(損害賠償の額)をつけなければならないという葛藤もあった。それでも彼らが提訴したのは「わが子の死の理由を知りたい」という一点だった。「金目当てだ」という誹謗(ひぼう)中傷の実態や、どのようにその苦しみに耐えていたかも、彼ら自身が映画の中で語っている。

次ページ寺田監督がショックを受けたこと
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事