39歳で「発達障害」と判明した僕が体験したこと 「洗濯機の音へのイライラ」から思わぬ診断へ
結果待ちで緊張
初診から診断に至るまで、もっともつらかったのは「結果待ち」の時間でした。テストを受けてから診断が出るまでの数週間です。診断が下りる直前、すごく悩んだからです。正直に言いますと、もしも発達障害だとわかったら、いっしょに働く人はどう思うだろうか、と。「障害を持った人と働くのはたいへん」「代表は『ふつう』であってほしい」、そんなふうに思われないだろうか。かなり怖かったのが本音です。しかし、そんな恐怖心こそ差別意識の裏返しです。「発達障害の人と働くのはたいへんそう」「ふつうがいい」と私が思っていたから怖いのだ、と。自分に対してとても残念な気持ちになりました。
説明を聞くほど安心していった
告知の日 感じた安堵
そんな私が診断を受けてどうだったのかと言えば、「よかった」でした。診断を受ける日は、とても緊張しました。いつもの病院へ行き、いつもの先生に会って、いただいた診断結果の書類を見る。でも、なんだか、ぜんぜんわからないのです。数字やコメントもいっぱい書いてあるけど、先生が何を言いたいのか。診察も後半になってきて、ようやく「ああ、私はADHDなんだ」とわかってきました。自分のこととなると緊張感や邪念がうずまいて、よく話が聞けなかったのです。しかし、説明を聞けば聞くほど安心してきました。これまでの忘れ物の多さや不注意などの失敗は「自分がポンコツだから」と卑屈に思っていましたが、ちがうのだ、と。診断が下りて改善したことはありませんが、気が晴れたのは事実です。
周囲の理解 やはりうれしく
その後、診断結果を周囲がこころよく受け取ってくれたのもありがたいことでした。前述したように、周囲にどう思われるかを私は気にしていましたが、不登校新聞社の社員はこころよく事態を受けいれてくれました。「何も苦労したことはなかったです」と言ってくれた人もいました。