逆にお金がなければ自分にとってのベストな選択ができず、かつ「買える範囲」での選択肢しか持てません。
つまり余裕があれば金額の大小にかかわらず、数多ある選択肢の中からベストを選ぶことができる、ということです。
なお、ベストを選ぶ、というくらいですから、「自分にとってのベストの基準や軸」が明確である必要があります。
ここで、冒頭で触れた幸せを感じることのできる感性、という話につながるのですが、「金額が高いもの=良いもの」であったり、「お金があればあるほど幸せになれる」と、単純に考えているようではいつまで経っても幸せになることはできません。
そういった考え方は、典型的なお金に振り回されている思考です。そしてそのような思考のままでは、いつまでもお金にかかわる不安は消えませんし、お金のために生活をするような本末転倒の状態になりかねません。
反対に手段や道具であるお金に振り回されないヒトというのは、キチンとお金との付き合い方を理解しており、自分なりの生活の軸であったり、物事の善しあしの判断軸や考え方を持っているヒトです。
「お金があるヒト=幸せなヒト」ではない
「お金があるヒト=幸せなヒト」ではないのです。資産の大小にかかわらず、お金という面で幸せになれるヒトはなれますし、幸せになれないヒトはなれません。
幸せになれるヒトというのは自分の身の丈にあったお金の支出や生活水準、ライフスタイルを理解しています。
つまり自分なりの幸せの基準があり、物事の金額や資産の大小にかかわらず幸せを感じることができる、そういった感性を持ち合わせています。
反対に、幸せになれないヒトは自分なりの人生の軸、つまり幸せの基準、が理解できていません。いつまでたってもお金の面で満足を得られず、不安にさいなまれるというように、自分なりの幸せを感じる感性が足りていないように思います。
そのようなヒトの典型は「いわゆるお金持ち」の「生活の一部」をまさにSNSなんかで見て、「身近である、または自分とそう変わらないであろう(と勝手に自分が考えている)ヒト」と自分のギャップに愕然とし、どこかに自分もお金持ちになれる魔法の杖があるかのように思ってしまいがちです。
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