ある日、手術室前の廊下に今後の手術予定リストが貼り出されていた。手術が終わった医師はリストの前に来て、その手術にチェックを入れる。そのあと何をするかというと、ほかの医師がどれだけ手術を執刀したか数えていた。
医師のひとりに、「何を確認しているのですか?」とたずねると、「誰がどんなオペを執刀したか、そのオペはどれくらい時間がかかったか、どれくらいむずかしかったか、確認します」とのこと。最後の「どれくらいむずかしかったか」と言ったとき、顔をゆがめて苦しそうな笑みをうかべていた。
「興味のなさ」でマウントをとろうとする
私たちは、じつにさまざまな方法で人と自分を比べる。ほかの人の仕事と比較する基準を見つければ、常に自分の仕事と比べてみる。プライベートでも比べるものが目に入れば、たちまち比較せずにいられない。つねに比較の基準に囲まれ、新しい比較対象をどんどん見つけていく。比較競争ゲームは刷新が随時はかられ、終わることなく続く。
そういう人ほど、他人に関心がない素振りを見せることがある。これもまた、人間関係において他者より優位に立とうとして取る「最小関心の力」と呼ばれる現象で、人間関係においては「関心の少ない者」が、「関心の大きい者」を支配するとされる。
たとえば、あなたは私のことを知りたいが、私はあなたに興味がないとなると、「私」が力を持つようになる。
なぜこうした態度を取るかといえば、誰もが人間関係の不平等を常に不安に思っているから。私たちは他者との1対1の関係において、常に釣り合い以上を見いだそうとするのだ。私たちはあらゆる関係において対等以上でないと不安を感じてしまう“社交的”な生き物といえる。
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