そこでは、自分という存在はあまりにも小さくて、なにも意味がないものだという感覚も生まれます。謙虚になるというのは、まさにこういうことではないかとも思います。
なにもかもが自分のコントロールの及ばない世界だという感覚を知ることは、とても重要です。その意味で、『Chatter(チャッター)』に書かれていることは、ストア哲学に近いですね。
ストア哲学は、まさに「自分のコントロールできないことは気にするな。その代わり、自分の内面や自分の行動は律しよう」という思想です。
気に食わない他人が近くにいるからといって、それにイライラしても、その人はいなくなりません。その人の頭の中をいじることもできません。ただし、自分の頭の中はいじれるのだから、「この人のことは気にしないようにしよう」という心持ちにすることで、平静を保つことが大事だ、というわけです。
そのイライラこそが、チャッターなのです。チャッターは、自分ではコントロールできないことに対して発生することが多いのではないでしょうか。
SNSも同じです。誰かの言ったことにいちいち脊髄反射する人がいますが、ストア哲学的に言えば、「他人のツイートを気にしても人生は良くならない。脊髄反射しないことが良い生き方である」ということになりますね。
「遠い存在」だからこそ相談できる
しかし、人と人との距離感は難しいものです。
インターネットの良いところは、知らない人に相談できるということです。特にいじめ問題では、家族や先生には一切言えないけれど、匿名で知らない人になら相談できるという心理があります。
人間関係は密接でなければいけないという思い込みがありますが、近しいと、かえって相談できないことがあり、強い絆よりも、遠い存在のほうがよりどころになることもあるわけです。
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