松下は、いつも将来はどうなるのか、状況はどう変わるのかを考えていたように思う。そのためにも、衆知を素直に聞いて、「将来」を読み取っていたのだろう。
昭和30年代になると、わが国の電機メーカー各社は、大型コンピュータの製造に取り組んでいた。しかし、そのさなか、松下は、コンピュータ製造からの撤退を指示。その指示に、多くの人たちが、松下さんは、時代を読めないと批判した。
「松下さんともあろう人が・・・」
あまりにも膨大な研究開発費が経営に負担、経費節減というところから撤退したとか。はたまた、当時、大型コンピュータを開発製造していた企業は国内で7社。その競争状態から抜け出そうとしたのだという指摘もされた。NECの小林宏治社長(当時)は、「松下さんともあろう人が、この有力な未来部門に見切りをつけることは、いかにも残念」と嘆いたらしい。
しかし、大型コンピュータは、米国のIBMが昭和39年に発表したS/360によって勝負が決まった。以降、大型コンピュータは、IBMの独走となる。そして現在はパーソナル・コンピュータ、PCになった。
あのとき取り組み続けたNECを含む日本の電機メーカーは、いま大きな成功を収めているだろうか。もちろん、一時期は大きな成功を収めた。しかし、今(2013年)の時点で、パソコン世界出荷台数のトップ5に日本メーカーはない。1位 lenovo(レノボ)、2位 HP(ヒューレット・パッカード)、3位 Dell(デル)、4位 Acerグループ、5位 ASUS(エイスース)となっている。
確かに、経費削減、過当競争などの理由があったのかもしれない。しかし、コンピュータの遠い将来を見据えていたのではないか。大型コンピュータの限界、将来のコンピュータの進化の速度などを予測し、自社の力を比較し、冷静に撤退を決めたと私は思う。
今日、松下幸之助のコンピュータからの撤退を批判する者はいないし、批判できない。
つねに、将来を考える先見力、洞察力。それが指導者、経営者にとって極めて重要であるということなのだ。松下の目をつむった顔を思い出しながら、そう考えた。
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