松下幸之助が"電算機撤退"を決断したワケ 「先を読んでから、今どうするかを考えや」

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「声が、よくなるといいですね」と言うと、「そうや、声がうまく出るようになるとな」。本人も、もどかしさを感じているようだった。

「まあ、話しよう。わかるか、わしの声。うん、きみはわかるけど、ほかの人は、聞き取りにくいと。わしも声を出しにくいんや。きみと話をして、発声練習しようか」と力弱い笑顔。ベッドで横になっている。

「若いとき、船場の五代自転車屋で、奉公しておったやろ。結構、いろいろと商売の勉強したな。いまあるのは、五代さんのお蔭や。6年ほど、世話になった。けど、15歳のとき、電車を見た。別にその時始めてみたわけやないけどな。そのころ、もう電車が走っていたからね、大阪で。けど、妙なもんやな。ある日、走っておる電車を見て、そうか、これからは電気の時代やと直感したというか、閃(ひらめ)いたんや。それで、五代さんとこを辞めて、大阪電燈会社に勤めた。よう働いた。けど、慣れてくると、時間ができる。それで、ソケットを考案してな。独立したんや」

ゆっくりと、ぽつりぽつりと話をする。

「先を読んでから、今どうするか」

目をつむりながらだから、帰ろうと思ったが、「まあ、えやないか」と言う。そして一呼吸置いて一言、

「きみ、先を読んでから、今どうするかを考えや」

と言った。

「わかりました」と返事をして、なるべく、松下に話をさせないように、思いつくままに話をし、折を見て、「もう、お休みになったほうがいですよ」と部屋を出た。

帰途、松下の体調を案じながら、「まず将来を考えて、今を考え、経営をしなさい」という言葉が、頭のなかを巡っていた。確かに、10年後、どうする、将来、どのような状態に持って行きたいかを考えなければ、いまなにをしていいのか決めることはできない。目標を立てる経営こそ、発展の基であり、松下経営のひとつだった。

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